古田敦也が見た激動の2004年 スト決行「プロ野球再編問題」あれから20年 球界の未来は

AI要約

2004年、プロ野球界を揺るがす激動の一年が幕を開けた。近鉄とオリックスの合併構想から始まったプロ野球再編問題が話題となり、様々な意見が交錯した。

球団経営の赤字、ファンや選手の反対意見、降りかかる不安。しかし、選手会を中心に12球団・2リーグ制の維持を目指す声が高まり、120万人の署名が集まった。

球界再編問題に選手やファンが立ち上がり、阻止に向けて行動を起こしていた2004年のプロ野球界の一コマを振り返る。

古田敦也が見た激動の2004年 スト決行「プロ野球再編問題」あれから20年 球界の未来は

6月16日、東北楽天ゴールデンイーグルスが球団創設20年目にして初の交流戦優勝を果たしました。楽天球団が創設された20年前、2004年はプロ野球界にとって激動の一年でした。

きっかけは近鉄とオリックスの合併構想から端を発したプロ野球再編問題。球界を揺るがすのみならず政界や経済界からも注目を集める大騒動に発展しました。当時、選手会会長だった古田敦也さんが振り返ります。

そして「再編問題」を乗り越えて今日まで成長を続けた日本プロ野球界の未来を考えます。

<全4回の#1>

2004年6月13日、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併構想が発覚。さらに、日本中を騒がせるプロ野球界の再編問題が巻き起こりました。

渡邉恒雄 巨人オーナー(当時)  

「“パ・リーグが5球団”“2リーグ制”について、(運営を行う上で)困難を伴う問題であります。したがって、10球団で1リーグ制もありえる」

合併理由の一つが、「球団の赤字経営」。近鉄とオリックス同様、オーナーたちは球団経営に頭を悩ませていました。中でも、近鉄は年間およそ40億円の赤字を抱え、観客の入りも多くはありませんでした。

そこでオーナー側は「球団の数を減らし、球界全体の赤字を改善させよう」と考えました。

突然のことに、当時の近鉄・梨田昌孝監督は「経営が苦しいのは聞いていますけど、シーズン中に話が出るとは思っていなかった」とコメントしました。

近鉄ファンからは「絶対反対ですね。伝統ある近鉄を潰して欲しくない」という声も聞かれました。

オーナー側が合併を既定路線で進める中、これに待ったをかけたのは選手会です。当時の会長は古田さんでした。合併構想が出た直後、古田さんは『報道ステーション』に出演し、思いを口にしました。

古田選手会長(当時)

「球団が減ると、やはりファンが減ることが間違いないと思います。やはりファンが減るってことは子どもたちや野球を目指す人たちが減る可能性があると思います。プロ野球界の発展を目指してやっていこうと思うんですが、合併がそういうものに繋がるのであればみんな納得できると思うんですよ。今のところ、そういう風に思いにくい」

選手会は「合併を阻止して、12球団・2リーグ制の維持」を求めました。球団削減なら選手、スタッフ、ファンはどうなるか。すると、球団買収を希望する会社が現れます。

堀江貴文 ライブドア社長(当時)

「Jリーグがチーム数を増やしているのに、プロ野球は減らすのか。子ども達が夢を持って野球選手になりたいと言える社会が必要不可欠」

しかし、オーナー側の球団削減の意思は変わらず、球団買収は受け入れられませんでした。選手たちは合併反対の署名活動に奔走し、およそ120万人の署名が集まりました。

オールスターゲームで、選手は12球団のカラーを織り込んだミサンガを付け一致団結。古田さんは「来年も12球団でやりますよ」と述べました。

東京・大阪などでファンによる合併反対のデモ活動も起きました。選手会はファンの支持を集め、甲子園球場では敵地にもかかわらず阪神ファンによる「古田コール」が響きました。

マスコミ報道も過熱し、日本中が注目する話題となりました。当時の小泉純一郎総理大臣は『(野球界は)どうなっちゃうのかね。日本のプロ野球もっと盛り立てるように、球団も選手も考えてもらいたいね』と述べました。