「絶対に勝てんな。でも薬師寺の名前が売れる」伝説の一戦“薬師寺保栄vs.辰吉丈一郎”の舞台裏「まさかこんなに売れるとは…立ち見席を刷らないで」

AI要約

1994年、世紀の一戦「薬師寺保栄vs.辰吉丈一郎」を目撃した2人の中学生が、30年後にジムを主導する立場になった。

薬師寺と辰吉の激闘を通じ、父からの遺志を受け継ぎ、次の世代につなぐために奮闘する姿が描かれる。

興行権を入札で獲得し、会場に収容数を遥かに超える売れ行きに対応する過程で起きた騒動も記述されている。

「絶対に勝てんな。でも薬師寺の名前が売れる」伝説の一戦“薬師寺保栄vs.辰吉丈一郎”の舞台裏「まさかこんなに売れるとは…立ち見席を刷らないで」

 世紀の一戦「薬師寺保栄vs.辰吉丈一郎」を間近で目撃した2人の中学生は、30年の時を超え、共にジムを主導する立場になった。師であり、父であった前会長が託した遺志を、次の世代へと紡ぎ続けていくために。

【初出:発売中のNumber1097号「薬師寺vs.辰吉が遺したもの~あの激闘から30年、松田ジムの道標~」より】

 あの辰吉丈一郎が松田ジムにやってくるという。1994年11月29日、世紀の一戦を5日後に控えた名古屋での公開練習。中学1年生の松田鉱太は授業を終え、すぐにジムへ駆けつけた。「兄ちゃん」のような身近な存在の薬師寺保栄が辰吉と闘うことになった。敵とはいえ、「浪速のジョー」をどうしても一目見たい。だが、ジムは報道陣で溢れ、人垣の隙間からしか練習風景を捉えることはできなかった。

 その日の晩、父で松田ジム会長の松田鉱二が金色に輝くボクシンググローブを差し出してきた。片方に辰吉、もう一方には薬師寺のサインが入っている。父からのプレゼント。これは宝物だ。大切に部屋に飾った。

 WBC世界バンタム級正規王者薬師寺と暫定王者辰吉との日本人王者同士による史上初の統一戦。下馬評は辰吉有利。松田ジム会長の妻でマネジャーの和子でさえ、対戦を聞いたとき思った。

「絶対に勝てんな。でも、薬師寺の名前が売れるし、いいんじゃないかな」

 ビッグマッチをどちらの陣営がさばくのか。松田には意地があった。名古屋開催、テレビはCBC(TBS系)を譲らず、興行権はWBC本部のあるメキシコシティでの入札に委ねられる。そこでヘビー級を除く世界最高額の342万ドル(当時のレートで約3億4200万円)で落札した。

 12月4日の試合当日。和子は会場の名古屋市総合体育館レインボーホールを埋め尽くした観客を見渡し、ため息をついた。

「人が入りすぎている。苦情が来る……」

 まさかこんなに売れるとは。会場は9800人収容で、立ち見券の数も決まっている。チケットを管理する和子は印刷屋に「これ以上、立ち見券を刷らないでね」と念を押した。しかし、会長の松田も必死だ。こっそり印刷屋に追加印刷を手配し、立ち見券を売りさばいていた。定員を遥かに上回るチケットが出回っていることを会場と警察に知られ、慌てて回収する騒ぎになった。

「夫が馬鹿みたいなことをやったから。ほら、倍返しでしょ。だから儲からへんの」

 定価の2倍を払うからとチケットの回収を呼びかける。だが、払い戻しに来る人はほとんどいなかった。