「Jリーグ黎明期に起こった『あの謎』について話しましょう」日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏の回想

AI要約

田崎氏が川淵氏との取材を通じて書いた『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』の内容や背景について述べられている。

川淵氏が自身のサッカー活動について振り返り、フリューゲルス合併に関して誤解があることを解説している。

田崎氏と川淵氏の対談から、書籍制作の過程やタイトルの誤解について明かされている。

<今年4月、ノンフィクションライター田崎健太氏が『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』を上梓した。多くの関係者の取材を元に横浜フリューゲルスの誕生から消滅までを丁寧に紡いだ作品だが、まさに日本サッカー史そのものであるといえる。今回、この書籍に登場した川淵三郎氏(日本サッカー協会元会長)が、出版後に改めて取材に応じてくれた。(写真:松岡健三郎)>

 田崎 この本の取材開始から執筆まで4年間掛かったんですが、最初はどんな風に転がっていくのか全く想像がついていませんでした。原稿を書いていくうちに、川淵さんの部分がどんどん増えていく(笑)。フリューゲルスを描くことは、初期のJリーグを描くことであり、それは川淵三郎を描くことだと気がつきました。川淵さんには是非読んで頂きたいと思っていました。

 川淵 著者の田崎さんを目の前にして言うのもなんだけれど、ぼくのところには常に沢山の本が送られてくる。最初はちょっとだけ拾い読みしようかと思ってたんだ。分厚い本だから、今日はここまで読もうと決めていたんだけれど、一気に読んでしまった。中身が濃い本だったよ。ぼくの知らないことが沢山あった。

 田崎 Jリーグ立ち上げからフリューゲルスが消滅した98年ごろまでは川淵さんは、Jリーグチェアマンでした。そもそも、84年までは(サッカー協会の)強化部長、その後2002年ワールドカップ招致委員会の鍵を握る人間でもあった。

 川淵 自慢に聞こえるかもしれないけど、あの頃はすべてぼくがやっていた。もちろんみんながサポートしてくれたけど、最後の段階では、ぼくが全部決断しなければならなかった。だからいつも苛々していて、「瞬間湯沸かし器」って週刊誌に書かれたこともあった。そうだったと思うもの(笑)。何かあるとすぐにかーっとしちゃってね。ピリピリムードだったんだろうね。

 田崎 今回の書籍は『フットボール批評』の連載がもとになっていますが、連載時に川淵さんに取材を申し込んだとき、なかなか返事が来なかった。フリューゲルスのことを話したくないのかと思っていました。

 川淵 (大きく首を振って)だって、取材申請に書いてあったのが「汚点」(季刊『フットボール批評』連載時のタイトルは『汚点 横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』)だったでしょう? ぼくはフリューゲルスと(横浜)マリノスの合併を汚点だと思っていない。

 田崎 連載のタイトルが悪かったんですね(笑)。フリューゲルスについて話すのは嫌ではなかった、と。

 川淵 もちろん! 川淵の前でフリューゲルスの話をすると機嫌が悪くなるなんて馬鹿なことを言っている人間がいるらしいね。フリューゲルスはなくなったわけではなくて、合併して残った。ぼくはあの一件に関して悔しい思いをしていない。ぼくのところに聞きに来る度胸のある人間がいなかっただけじゃないの(笑)。