【大学野球】星槎道都大・西川瑠恩、母校・別海はセンバツ初戦敗退「自分が全国1勝を」…全日本大学選手権10日開幕

AI要約

星槎道都大が全日本大学野球選手権大会に2年連続出場することになり、西川瑠恩投手が10年ぶりの勝利を誓う。

西川は投手陣の一員として、他のエース投手たちと共にチームの勝利に向けて力を合わせている。

オーバースローからサイドスローに転向した西川は、自身の決断がチームへの貢献につながったことを実感している。

【大学野球】星槎道都大・西川瑠恩、母校・別海はセンバツ初戦敗退「自分が全国1勝を」…全日本大学選手権10日開幕

 第73回全日本大学野球選手権大会(神宮、東京D=報知新聞社後援)が明日10日に開幕する。2年連続出場の星槎道都大(札幌学生)は、同日の初戦(東京D)で仙台大(仙台六大学)と対戦。今春のセンバツ甲子園に21世紀枠で出場した別海出身の左腕・西川瑠恩(りゅうおん)投手(4年)が、後輩に負けじと選手権10年ぶりの勝利を誓った。

 昨年に続き、春の全国舞台でメンバー入りを果たした西川。投手陣はリーグ5勝の左腕・佐藤爽(4年=札幌山の手)、右のエース・印南伊吹(4年=北海道栄)がおり、全国では中継ぎでの登板が見込まれるが「2人が先発でいてくれるので、中盤、後半をとにかく0で抑えられるようにしたい」と気合を入れた。

 高校まではオーバースローだったが、大学入学後は苦悩の日々が続いた。「制球が定まらなくて、球速も(高校時代の最速135キロから)120キロ台が限界になってしまった」。腕を下ろすことに葛藤はあったが、生き残るために1年夏にサイドに転向。同じ投法の巨人・高梨、元ソフトバンク・秋吉を参考にフォームを固めた。現在は球速130キロ台まで回復。変化球の曲がり幅も増し「下ろしてなかったらメンバー入りはできていなかったかも。あのとき決断して良かった」と振り返る。

 センバツでは後輩が聖地の土を踏んだ。自らも袖を通したユニホームでプレーする姿に「すごく不思議な感じで、信じられない。ものすごく刺激を受けました」。母校は初の甲子園で初戦敗退に終わっており「別海出身で大学の全国で勝てた人はいないと思う。自分が最初に1勝したい」。福山大(広島)に勝利した14年以来の初戦突破に向け、変則左腕が自らの役割を全うする。

(島山 知房)

 ◆西川 瑠恩(にしかわ・りゅうおん)2002年9月20日、中標津町生まれ。21歳。中標津丸山小4年時に丸山ファイターズで野球を始める。中標津中では軟式野球部でプレー。別海高では1年春からベンチ入りし、エースとして2年秋の全道大会出場。星槎道都大では3年春に公式戦初登板を果たした。174センチ、82キロ。左投左打。家族は両親と姉。