「感情」がないはずのAIに、「恋の歌」は詠める?…短歌を詠むためにAIが役に立つ「意外なこと」

AI要約

短歌AIの開発と人間との関係性について解説されている。

AIと人間の違いを通してAIの持つ「人ではないあたたかさ」について考察されている。

短歌AIが教育や創作においてどのように活用されるか、具体例を交えて紹介されている。

「感情」がないはずのAIに、「恋の歌」は詠める?…短歌を詠むためにAIが役に立つ「意外なこと」

 令和の世で、空前のブームとなっている「短歌」。

 そしてもはや私たちの日常にも深く入り込んでいる「AI」。

 感情を持っていないはずのAIが、どうやって、まるで人のように短歌を詠めるようになるのか。そこで見えてきたAIと人との幸福な関係性とは? ーー〈短歌AI〉の開発に心血を注いできた気鋭の研究者・浦川通氏がわかりやすく解説する。

 本記事では、〈チェスや碁に続き「短歌」もAIが…? 短歌をつくるときに「AI」をどう活用できるのか? ​〉にひきつづき、AIの「人ではないあたたかさ」について、みていきます。

 ※本記事は講談社現代新書の最新刊『AIは短歌をどう詠むか』から抜粋・編集したものです。

 人とAIを対比して考える際に、「人はあたたかいものである」と語られがちな気がします。しかしこれは、常に正しい命題でしょうか。「冷たい態度」といった言葉があるように、他者に冷たくできるのもまた人間です。さらには、あたたかさを超えて熱くなってしまうと、これもまた人間関係に悪い影響をもたらすきっかけになり得るでしょう。

 翻って、「AIは人ではありません」。当たり前すぎる、つまらない文章です。しかし、「人ではありません。なのであたたかいのです」と続いたら、どうでしょうか。一般的には人間は血の通ったあたたかいものとされているので、少しびっくりしませんか。しかし、ここではAIの「人ではないあたたかさ」について考えたいと思います。

 これは「AIは人が持っているような冷たさを持っていない」ということです。先ほどの「壁打ち相手」の例では、短歌AIにいわば案出しをお願いしながら自分の歌をつくることに取り組みました。AIは、こちらが何度お願いしても、疲れることなく、それがたとえ真夜中であろうと、嫌な顔せず、結果を返してくれます。人間の「短歌の友人」では、なかなかそういう訳にはいかないでしょう。

 また、AI相手なら、いくらでもダメ出しをすることができます。どんなに細かいところを指摘しようが、うんともすんとも言わず、淡々と生成を続けるのが言語モデルです。ですので、例えば短歌の教室や創作の授業で、あえて「悪い例」を生成させる装置として、教育的な利用が可能かもしれません。これは、AIならではの度量の広さ、「あたたかさ」があるからこそできる行為ではないでしょうか。

 俵万智さんと開催した「恋の歌会」では、短歌AIの生成する歌を俵さんに添削してもらい、会場で共有するといったことをしました。

歌会は初夏に募集が始まったこともあって、「初夏

(

はつなつ

)

の光とともにやってくる」という上の句に対する下の句を、参加者から募るとともに、短歌AIでも生成させてみました。----------

初夏(はつなつ)の光とともにやってくる午後の地下鉄ふくらんでゆく

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 これが、短歌AIの生成した下の句です。「地下鉄がふくらんでゆく」という表現は面白いものがありますが、これを俵さんは次のように添削しました。

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初夏(はつなつ)の光とともにやってくる山手線がふくらんでゆく

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 「地下鉄」を「山手線」と、具体的な路線名を与えながら地上に上げてあげることで、まぶしい「光」をより実感の伴うものにしています。

 『AIは短歌をどう詠むか』第1章でも見たように、歌会では「恋」というお題で題詠に対する生成も行いました。

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あたらしい恋の思いによるとこの恋にはスマホが存在しない

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 これを俵さんは、次のように添削します。

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あたらしい恋の定義によるとこの恋にはスマホが存在しない

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 「思い」というぼんやりとした言葉に、「定義」とはっきりした形を与えることで、この歌がより明確に感じられます。

 なお、このイベントは会場に加えてオンラインでも配信し、多くの人が見届ける中で開かれた歌会でした。一般的には、そんな大勢の前で添削を受けるというのは、する方もされる方も、少し躊躇してしまうかもしれません。でも、そこは器の大きいAIです。いくらでも、何を言っても動揺しないAIだからこそ、表現そのものに対する率直な指摘が可能となり、そのさまを私たちは見ることで、より純粋に短歌をつくることについて考える時間を過ごせたのかもしれません。