鈴木家甲冑や古文書 原田旧宅で企画展 紀州藩地士の役割紹介 三重・松阪

AI要約

三重県松阪市殿町の原田二郎旧宅では、企画展「紀州藩地士(ぢし) 鈴木家」が開催されています。紀州藩地士の役割や歴史を紹介する展示が行われています。

地士は江戸時代に存在した身分で、無給で藩の命令に従う武士の一種でした。紀州藩の地士は海岸線の防備などに活躍し、藩史書にもその名が記されています。

展示では、鈴木家に伝わる甲冑や武具、絵画などが見られます。また、特定の日時には展示解説も行われます。

鈴木家甲冑や古文書 原田旧宅で企画展 紀州藩地士の役割紹介 三重・松阪

 三重県松阪市殿町の原田二郎旧宅は現在、企画展「紀州藩地士(ぢし) 鈴木家」を開いている。地士は江戸時代に存在した身分。元伊勢国司北畠家の家臣で代々地士を務めた鈴木家に伝わる古文書や甲冑(かっちゅう)などを通して、紀州藩地士が果たした役割を紹介している。12月15日まで。

 地士は藩から苗字帯刀が許された武士の身分だが、基本的に無給で、平時は農業や林業に従事し大庄屋や庄屋を務める者もいた。紀州藩の松阪、白子(鈴鹿市)、田丸(度会郡玉城町)領の地士の先祖は北畠家の家臣が多く、紀州藩の歴史書「南紀徳川史」は「旧家由緒武辺武功(きゅうかゆいしょぶへんぶこう)ある者」を命じたとする。

 地士は1701(元禄14)年に169人だったが、明治初年には381人に増加。これは19世紀以降、外国船渡来の危機の中で海岸線の防備を強化する必要があり、功績のある農民が藩に出願すれば、その格を与えたことが一因だった。

 展示資料ナンバー1は鈴木家に伝わる甲冑。一旦変事が起これば、藩命で軍務に就く義務を負った。特に勢州領の地士は、松坂城の警備と海岸線の防備を担当。そのため甲冑や刀剣、鉄砲などの武具を常備していた。

 鉄砲は、銃口から弾薬を装填(そうてん)し、火縄の火で起爆薬に点火して発射する。銃身には桜の心花模様などの細工が施されている。

 画像「夫婦像」は、鈴木藤右衛門(別名=藤蔵、1810~83年)と、妻・みし(15~60年)を描いている。1884(明治17年)に藤右衛門一周忌に伴い描かれたと思われ、作者は日野町出身の絵師・堀西米中(べいちゅう、50~91年)だった。

 7日と11月30日の午前11時から15分程度、展示解説を予定する。

 開館は午前9時から午後5時(入館は4時半)まで。水曜休館。一般100円、18歳以下は無料。