廃線惜しむ町の人 取り壊す駅舎に「告別式」 ティッシュの花とお経でお別れを 【兵動大樹の今昔さんぽ】

AI要約

1982年の平野区を舞台にした写真から、南海平野線の廃線に伴う平野駅の告別式の物語が紹介されています。

地元の人々が結束して2年間にわたり保存運動を続けたが、駅舎の取り壊しは避けられず、平野駅舎告別式が行われた様子が写真に残されていました。

全興寺を訪れれば、南海平野線の歴史や平野愛について詳しく知ることができます。

廃線惜しむ町の人 取り壊す駅舎に「告別式」 ティッシュの花とお経でお別れを 【兵動大樹の今昔さんぽ】

1枚の写真から街を再発見 兵動大樹の今昔さんぽ

今回はJR平野駅からスタート。大阪市の南東に位置する平野区は、大阪市で最も人口が多い町。「今昔さんぽ」で平野区を訪れるのは初めてです。

さて今回の写真は、1982年(昭和57年)に、大阪市平野区で撮影された写真です。お経を読んでいるお坊さんと「平野駅」と書かれた看板のようなものが写っています。

写真のヒントを求めて平野の町を歩くと、いたる所にお寺がありました。中でも「平野郷」という地域があって、昔ながらの街並みが残されているということです。

歩いていくと「かたなの博物館」という建物が。ここでは刀を研ぐ技術を学びたいという人たちが全国から訪れ、指導を受けています。日本刀の販売もしています。

博物館で出会った研ぎ師の真津さんから「平野郷」の話を聞くことができました。「平野郷」とは、堀に囲まれた自治都市として、江戸時代から朱印船貿易で財を成した商人などで栄えた町です。

また写真の話も教えてもらうことができ、南海平野線の廃線で駅舎が取り壊されることになったときに、「駅舎のお葬式」をしようという話になったといいます。

南海平野線は、阪堺電車今池駅から平野駅までを結ぶおよそ6キロの区間を走っていた路面電車。1980年に惜しまれながら廃線となり、親しまれてきた平野駅も取り壊されてしまいました。今回の写真は、「南海平野駅告別式」の写真だったのです。

「全興寺(せんこうじ)」へ行けば詳しく分かるとのこと。真言宗の全興寺は閻魔大王がいる地獄堂があることでも知られているお寺です。住職の川口良仁さんに写真について聞くと、やはり平野駅の告別式で間違いありませんでした。

南海平野線は廃線となりましたが、せめて駅舎だけでも残せないかと、地元の人々が結束し2年間にわたり保存運動を続けました。廃線からおよそ2年後、運動も報われず、駅舎の取り壊しが決まり、その節目として「平野駅舎告別式」が営まれました。

写真に写るお坊さんは、川口住職だったのです。地元の人はティッシュペーパーの花を手向け、駅舎とお別れをしました。

川口住職に、写真が撮影されたポイントへ案内してもらうと、平野駅の跡地には今も南海平野線の面影が残されていました。

【兵動大樹さん】「“平野愛”を勉強させてもらいました」

【全興寺 川口良仁住職】「どんな土地でも、歴史と文化があるから、掘れば何か出てきます」

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2024年8月30日 金曜日放送)