こんな道路標識は他では見たことがない…瑞穂ICに珍しい「大八車」標識、なぜ邑南町に 町の象徴?設定経緯は謎

AI要約

島根県邑南町市木の中国横断道広島浜田線・瑞穂インターチェンジ(IC)の入り口に、大八車が描かれた標識がある。自転車以外の軽車両通行止めの標識が他では珍しいが、瑞穂ICには他の規制標識も存在し、なぜ大八車が描かれたのか謎として残っている。

規制標識設置の経緯は不明だが、都心部にも大八車の標識が多く見られ、特に東京・銀座周辺では深夜の屋台通行規制が行われている。瑞穂IC付近でも同様の歴史があったのか疑問が残る。

邑南町内にはかつて大規模な牛馬市があり、牛馬が通行することがあった可能性がある。現在は市木地区で牛馬市が行われることはないが、歴史的な背景から軽車両禁止標識が設置されたのかもしれない。

こんな道路標識は他では見たことがない…瑞穂ICに珍しい「大八車」標識、なぜ邑南町に 町の象徴?設定経緯は謎

 島根県邑南町市木の中国横断道広島浜田線・瑞穂インターチェンジ(IC)の入り口に、大八車が描かれた標識がある。県内では珍しい「自転車以外の軽車両通行止め」の標識だが、他では見たことがない。なぜ瑞穂ICに設置されているのか…。

▼都心部に多く

 軽車両はエンジンなどの原動機を動力源としない車両で、具体的には自転車やそり、牛馬、大八車、リヤカー、人力車、馬車などを指す。自転車を除き、現代ではあまり見かけない。瑞穂ICにはこのほかにも標識があり、自動車、126cc以上の二輪自動車以外の通行を禁じている。

 一方、瑞穂ICの両隣にある旭IC(浜田市旭町丸原)と、大朝IC(広島県北広島町新庄)の規制標識は「自動車専用」と「速度制限」のみだ。なぜ瑞穂ICにだけ、大八車が描かれた標識があるのだろうか。

 規制標識の設置主体は、都道府県公安委員会だ。島根県警交通規制課によると、標識は、ICが開通した1991年12月と同時期に設置された。ただ、協議内容の保存期間は通常5年程度で、同課の阿郷靖弘主査は「記録が残っておらず、正確な経緯は把握できない」という。

 他に大八車の標識があるのはどこか。調べたところ都心部に多くあった。中でも東京・銀座周辺にあるのが有名だ。

 グーグルマップで見ると、他の乗り物の通行に関する規制標識がなく、本当にリヤカーや人力車などの軽車両を通行禁止としている。通行止め時刻を午後6時~午前3時とする補助標識もある。

 警視庁広報課によると、銀座では1991~92年ごろ、深夜にラーメン屋台が多く出店し、周辺交通に大きな影響を与えたという。地元住民らの要望を受け93年、夕方から深夜帯の屋台の通行を規制する標識が設置された。

▼牛馬市の歴史

 瑞穂IC付近でも同様の歴史があったのだろうか。

 自転車以外の軽車両としてソリや牛馬、大八車、リヤカー、人力車、馬車を挙げた。実は邑南町内で取材をする中で「牛馬」は思い当たる節がある。

 邑南町は江戸から昭和時代にかけ、合併前の旧瑞穂町や旧羽須美村に当たる出羽、亀谷、阿須那地区で大規模な牛馬市がにぎわった。特に出羽の市は江戸時代に浜田藩の代官によって置かれ、明治時代の最盛期には中国地方各地から8千頭以上が集まった。鳥取県伯耆町の伯耆大山、広島県三原市の備後久井と並ぶ「中国地方三大牛馬市」の一つとして数えられる。

 いずれも入頭数の減少で昭和30年代までに閉鎖し、現在は牛馬が行き交うことはない。ただ、瑞穂ICのある市木地区は出羽地区と同じ旧瑞穂町で、ICから出羽までの距離は直線で10キロほどだ。

 標識ができたのは平成初期だが、昭和中期まで出羽の市があったとすると、かつては現在のIC近くで牛がけん引する荷車などが通っていた-。その名残で軽車両禁止の標識が設置された可能性は考えられる。

 記録が残っておらず、正確な設置経緯は分からないが、町内の歴史文化を象徴する標識であるのは間違いなさそうだ。