病と闘う母は「五輪への道照らす太陽」 自転車オムニアム17位・梶原、二人三脚のパリ

AI要約

東京五輪銀メダリストの梶原悠未が、母との絆に支えられながらパリ五輪へ挑戦する姿を描く。

梶原が17位に終わったものの、母のサポートに感謝し、自転車競技に心底打ち込んだ成長を見せる。

今年入院した母の姿が梶原に力を与え、共に目指した金メダルへの道のりを振り返る。

病と闘う母は「五輪への道照らす太陽」 自転車オムニアム17位・梶原、二人三脚のパリ

 【パリ=静岡新聞社臨時支局・伊藤龍太】目標の金メダルには届かなかったが、母との固い絆に支えられ、フランスのゴールまでの道のりを駆け抜けた。11日のパリ五輪自転車競技トラック女子オムニアムで梶原悠未(27)=TEAM Yumi=が17位。東京五輪銀メダリストはこの3年、心身ともに不調を味わったが、母有里さん(52)と共に歩みを進めた。

 「銀でごめん」。東京五輪のレース後、梶原は観客席に駆け寄った。「金」だけを目指してきた娘の一言は母にとっても予想通り。有里さんも自然に「もう一度、一緒に金メダルを目指したい」と思った。ただ、パリへの挑戦はいばらの道。世界一を目指しがむしゃらに突き進んだ東京五輪までと異なり、故障を繰り返し、精神的にも不安定になった。有里さんは「完璧を目指さなくてもいいんじゃないの?」と声をかけたこともあった。

 有里さんは東京五輪に向けて梶原と共に、伊豆ベロドローム近くの伊豆の国市へ引っ越して以来、全てをまな娘にささげてきた。高校で水泳から自転車に転向するきっかけを与えたのも有里さん。絶えず五輪への道を照らし続けた。梶原は母の存在を問われると、必ずこう口にする。「母は私の太陽」なのだと。

 有里さんは持病の悪化で今年に入り2度の手術と入院を経験した。「不安な気持ちでいっぱいだった。けれど、前向きな母を見て私も負けていられないという気持ちになれた」と梶原。病に立ち向かう母の姿が自身を奮い立たせた。

 有里さんはこの3年間で梶原が「自転車を心底好きになれた」と断言する。メダルへの思いが先行していた「東京」から、さらに強い思いが実らなかった「パリ」へ―。全てが必要な道のりだった。「ずっとサポートしてくれた母に誰よりも、一番に感謝したい」