勝ち負けばかりが…(8月1日)

AI要約

1924年のパリ五輪でマラソン選手の三浦弥平が足の故障で途中棄権する悲劇が描かれる。

日本選手団は幾人かが失意のうちに選手村を去るなか、栄光と絶望の瞬間が描かれる。

三浦弥平は後に後進の育成を夢見てオリンピック村の建設に挑み、挑戦し続ける姿勢が称賛される。

 100年前の1924(大正13)年の夏も、パリで五輪が華々しく開催されていた。白根村(現伊達市)出身の三浦弥平は、4年前のアントワープ大会に続きマラソンに出場した。前回は24位。雪辱を誓うが、足の故障で途中棄権に終わる▼強化のためにドイツに留学し、実家や知人に大きな負担をかけていた。何としても期待に応えたかったのだが…。∧完走できなかったダメージは大きく、その精神的苦悩は計り知れないものがあった∨と、東北大名誉教授の佐藤昭男さんは著書「走る―オリンピックマラソンランナー三浦弥平の軌跡」に記す▼それから1世紀ぶりのパリ大会だ。日本は順調にメダルを積み重ねるが、幾人かは力を出し切れず失意のうちに選手村から去っていく。柔道男子60キロ級の永山竜樹選手のように、不可解な判定に泣く選手もいる。今も昔も、栄光と絶望が隣り合わせにある▼三浦は後に、「オリンピック村」と名付けた施設の建設に乗り出し、後進の育成を夢見た。大不況下の資金集めは困難を極め、必ずしもうまくはいかなかったが、挑戦し続けた姿は今なお尊敬されている。勝ち負けばかりが五輪ではない。彼のひた向きな人生に教わる。<2024・8・1>