「佐渡島の金山」世界遺産登録まで約30年 韓国政府の反発も 受け継がれた活動 登録までの歴史を振り返る《新潟》

AI要約

30年前に始まった「佐渡島の金山」を世界遺産に登録する活動の歴史と、初代会長である田中圭一さんの貢献について。

登録までの試練や課題、田中圭一さんの存在がなければ達成できなかったであろう歴史を振り返る。

佐渡島の金山の世界遺産登録へ向けた取り組みと、これからの課題について。

「佐渡島の金山」世界遺産登録まで約30年 韓国政府の反発も 受け継がれた活動 登録までの歴史を振り返る《新潟》

「佐渡島の金山」を世界遺産に登録しようと活動が始まったのは約30年前…この日を迎えられず志半ばに亡くなった人もいました。

さらに韓国政府が朝鮮半島出身者の強制労働があったとして反発した経緯があります。

登録までの歴史を振り返ります。

伝えきれない感謝をこの墓標に伝えます。

「先生ありがとうございました、おかげさまでした」

「本当にこの人がいなかったら世界遺産にならなかったね」

ここに眠るのは「佐渡を世界遺産にする会」の初代会長、田中圭一さんです。

田中さんは佐渡市金井地区出身の歴史学者で、筑波大学の教授などを務めました。

島根県の石見銀山が世界遺産登録を目指す姿を見て、1997年、「世界遺産にする会」の前身団体を発足。

佐渡の金銀山の歴史的価値を調べ、それが世界遺産に値すると確信していました。

「佐渡を世界遺産にする会」 中野洸会長

「世界遺産はほとんどの人が知らなかった時代でしたその時に石見銀山が世界遺産に登録しようと手を挙げた。石見よりもはるかに歴史的にも産出の量も大きい佐渡が手を挙げないことはないと」

世界遺産登録への動きは2004年に10市町村が合併し、「1島1市」となったことで佐渡市が県と共に取り組む大きな動きとなりました。

2010年には世界遺産登録の前段階となるユネスコの「暫定リスト」に入りましたが…

世界遺産へのステップとなる「国内推薦」には2015年から2021年まで4度の落選を繰り返しました。

文化庁 当時の担当者

「世界中にたくさん鉱山がある中でそもそも佐渡の世界遺産の価値がなんなのか、整理しなおしたほうがいい」

登録に至るまで、文化庁からは厳しい指摘も受けました。

世界遺産が増え続けて1000件を超え、審査も厳格化していました。

佐渡金山の価値を広めようと調査だけではなく、講演会も行ってきた「佐渡を世界遺産にする会」の初代会長・田中圭一さん…

2018年に亡くなりました。