「もう感じない…」映画『花束みたいな恋をした』が描いていた「恋の終わり」以上に切実な問題

AI要約

映画『花束みたいな恋をした』がコロナ禍において異例のヒットを記録し、労働と趣味の両立の難しさを描いている。

労働と読書の両立について、映画の物語や現代の現実との関連性が探求されている。

麦と絹というカップルのストーリーを通じて、労働と文化的趣味の相容れなさが浮き彫りにされている。

「もう感じない…」映画『花束みたいな恋をした』が描いていた「恋の終わり」以上に切実な問題

サブカル好きの大学生カップル、麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が、就職をきっかけに趣味の時間を奪われ、心もすれちがっていく様を描いた映画『花束みたいな恋をした』(2021年)は、コロナ禍にもかかわらず異例のヒットを記録した。

この映画がヒットしたのは、「労働と趣味の両立」というテーマが現代人にとって想像以上に切実なものである証左なのではないか、と書評家の三宅香帆さんは自著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)の中で指摘する。

同書も4月の刊行から新書としては異例の売れ行きを見せ、電子版と合わせて15万部超えのベストセラーとなっている。

子どもの頃から本が好きで、京大の大学院に在籍していた頃は『万葉集』の研究をしていた三宅さん。いまは専業的に書評家として活動しているが、かつてIT企業に1年間勤めた時期もあった。その1年のあいだ、三宅さんはまったく本が読めなくなっていたという。

週に5日、毎日9時半から20時過ぎまで会社にいる生活。移動中の電車や夜寝る前の自由時間はあったものの、ついSNSやYouTubeを眺めてしまう。週末は寝だめをして、本を開いても目が自然と閉じてしまう……。

誰しも身に覚えがあるであろうこの状況はなぜ生まれるのか。『なぜ働~』の中から、『花束みたいな恋をした』を例に長時間労働と文化的趣味の相容れなさ、社会格差と読書意欲の関係について三宅さんが考えた章を抜粋してお届けする。

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麦「俺ももう感じないのかもしれない」

絹「……」

麦「ゴールデンカムイだって七巻で止まったまんまだよ。宝石の国の話もおぼえてないし、いまだに読んでる絹ちゃんが羨ましいもん」

絹「読めばいいじゃん、息抜きぐらいすればいいじゃん」

麦「息抜きにならないんだよ、頭入んないんだよ。(スマホを示し)パズドラしかやる気しないの」

絹「……」

麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」

(坂元裕二『花束みたいな恋をした』)

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生活するためには、好きなものを読んで何かを感じることを、手放さなくてはいけない。そんなテーマを通して若いカップルの恋愛模様を描いた映画『花束みたいな恋をした』は、2021年(令和3年)に公開され、若者を中心にヒットした。

私自身は主人公の年齢とほぼ同い年なのだが、面白く観たし、なにより働いている同年代の友人たちが「最近観た映画のなかで一番身につまされたよ……」となんとも言えない表情で感想を語っていたのが印象的だった。実際、ネットでもずいぶん熱心な感想を書く人は多かった。

この映画の主人公は、麦と絹という一組のカップルである。大学生のときに出会い、小説や漫画やゲームといった文化的趣味が合ったふたりは、すぐに恋人になる。しかし同棲し就職するなかでふたりの心の距離は離れていく。とくに会社の仕事が忙しくなった麦は、それまで好きだった本や漫画を読まなくなる。そんな麦に、絹は失望を抱えるようになる。

『花束みたいな恋をした』において、長時間労働と文化的趣味は相容れないものとされる。麦は営業マンとして夜遅くまで働く一方、絹は残業の少ない職場で自分の趣味を楽しんでいる。ふたりのすれちがいが決定的になるのは、絹が出張に行く麦に、芥川賞作家の滝口悠生の小説『茄子の輝き』を手渡すシーン。麦はそっけなく受け取り、出張先でも本を乱暴に扱うさまが映し出される。

一見よくある若いカップルの心の距離を描いた物語だが、このストーリーの背後には、「労働と、読書は両立しない」という暗黙の前提が敷かれている。

実際、私の友人たちが「身につまされた」と語っていたのは、麦と絹の恋人関係そのものよりも、麦の読書に対する姿勢だった。「働き始めた麦が本を読めなくなって、『パズドラ』(「パズル&ドラゴンズ」の略称。大ヒットしたゲームアプリ)を虚無の表情でやっていたシーン、まじで『自分か?』と思った」と友人たちは幾度も語った。働き始めると本が読めなくなるのは、どうやら映画の世界にとどまらない話らしい。

私は、この作品を観たとき映画としての作劇や演技の完成度に感嘆しながらも、こう感じた。この映画がヒットしたのは、「『労働と読書の両立』というテーマが、現代の私たちにとって想像以上に切実なものである」という感覚が存在しているからではないだろうか? と。