浅野ゆう子さん連載|嫌われゆう子の誕生|仕事と美容、そして人生。

AI要約

16歳のとき、8枚目のシングル『セクシー・バス・ストップ』がヒットし、歌手として伸び悩むもカネボウの夏のキャンペーンで起用され、セクシー路線にシフトした浅野ゆう子さん。

アンチの中で揺るがず、自信を持ち続ける秘訣や、演出家からの言葉が支えになるエピソード。

20代の南の島での撮影でココナッツサンオイルで日焼けしていた経験から、日焼け対策の重要性を語る浅野ゆう子さん。

浅野ゆう子さん連載|嫌われゆう子の誕生|仕事と美容、そして人生。

今年、デビュー50年を迎えた俳優・浅野ゆう子さん。「今がいちばん自分らしい」と語る浅野さんが、50年を振り返りながら、美しく輝くヒントを教えてくれます。

16歳のとき、8枚目のシングル『セクシー・バス・ストップ』がヒットしました。その後、毎年新人が多くデビューする中、歌手として伸び悩んでいきます。くすぶっていた19歳のとき、カネボウ化粧品の夏のキャンペーンに起用していただきました。商品は、メイクくずれしにくい夏用のファンデーション。そして広告の衣装は黒の大胆な水着。CMやポスターのビジュアルが話題となりました。

私は、子供の頃から大人びて見られることがコンプレックスでした。電車で子供料金を払うと怪訝な顔をされ、ラブリーなドレスを着た可憐なアイドル歌手を夢見ていたけれど、当時としては背が高すぎたせいか、誰からも「かわいい」と言ってもらえず。ならば“老け見え”というコンプレックスを強みにしてしまおうと、カネボウのCMを機にそれまでのかわいい系から、思いっきりセクシー路線にシフト!雑誌のグラビアや写真集、ウイスキーのCMなど、男性目線を意識したビジュアルが中心となり、メイクは濃く、華やかになっていきました。

ちなみに、水着でのお仕事への抵抗はありませんでした。実は昭和のアイドルは水着の仕事も多く、山口百恵さんなどレジェンド級の皆さんも、普通にビキニ姿で歌っていた時代でしたから。

ところが、私はたちまち「嫌いな芸能人」の常連に。「女の敵」「彼氏の前に現れてほしくない女」なんてたたかれ、カミソリの刃が入ったお手紙もたくさんいただきました。元々女性のファンは少なかったのですが、世の中の女性全員がアンチ、みたいな状況に。

でも、そのことで傷つき、落ち込むということはありませんでした。自分で決めて、納得して仕事をしているのだから、私のことを知らない人に何か言われても気にならなかった。むしろ、嫌いだと認識してもらえるだけ人目につく仕事をしているのだなぁとうれしかった。

何を言われても揺らがずにいられたのは、あるドラマのオーディションで演出家の久世光彦さんからいただいた言葉が支えになっていたから。「あなたは見た目と年齢のギャップが埋まったときにいい仕事ができるよ」─。そのオーディションはあっさり落とされましたが(笑)、「そのときはいつか来るんだ」という根拠のない自信がモチベーションになっていました。

20代は写真集や雑誌などの撮影で、しょっちゅう南の島に飛んでいました。ハワイやグアム、サイパン、ボラボラ島、そしてカリフォルニア…。現地で真っ先にやることといえば、日焼け!当時は小麦色の肌がトレンドでしたから、ココナッツが香るコパトーンのサンオイルをつけて肌を焼いていました。実は私、40歳近くになるまで、普段の生活でも日焼け止めをつけたことがなかったんです。今考えるとぞっとします…。やがて、紫外線を浴びまくっていたツケはちゃんとやってきました。シミが、顔はそこまで多くないのですが、脚に増えてしまって。レーザーで取ってもなかなか消えず、もう諦めました。脚のシミはストッキングやコンシーラーで対策しています。いつまでもシミのない美肌をキープするなら、皆さん、日焼け対策は10代、20代からくれぐれも抜かりなくですよ!

日焼け止めは、出かける日はカバーマーク トリートメント デイ クリーム(肌にハリを感じる!)、家で過ごす日はアリィー クロノビューティ ラスティングプライマーUV(肌がトーンアップ!)。

Profile

浅野ゆう子

あさの・ゆうこ/俳優。1960 年兵庫県神戸市生まれ。’ 74 年にデビュー。本連載1 回目で披露した美脚が「美しすぎる」と話題に。