河合敦が高校教員を退職するきっかけになった「源頼朝の肖像画」問題。唯一、本当の頼朝の姿をかたどったとされる木像の顔立ちは…

AI要約

源頼朝の肖像画が実は足利直義ではない可能性が高いという新説が紹介されている。

歴史研究家の河合敦先生がテレビ出演をきっかけに人生が変わり、新しい歴史解釈を披露するようになった経緯が明かされている。

今では大学の客員教授として活躍する河合先生にとって、源頼朝の肖像画は思い出深いものとなっている。

河合敦が高校教員を退職するきっかけになった「源頼朝の肖像画」問題。唯一、本当の頼朝の姿をかたどったとされる木像の顔立ちは…

NHK大河ドラマシリーズや映画などで「日本史ブーム」がまだまだ続いています。しかし、歴史研究家の河合敦先生いわく「じつは教科書が改訂されるごとに、多くの歴史用語や人物が消滅したり、評価が逆転したりしている」そうで――。そこで今回は、河合先生が日本史の新説をまとめた著書『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』から「源頼朝の肖像画」についてご紹介します。

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◆源頼朝の肖像は、尊氏の弟・足利直義だった?

初めて私がテレビに出演したのは、2005年5月のこと。しかも、いきなり土曜日夜8時のゴールデン番組だった。

人気番組として続いていた日本テレビの『世界一受けたい授業』である。

その5カ月前、番組関係者から「歴史の授業を考えているので、面白い逸話を教えてください」と連絡があり、こころよく応じて偉人たちの話を披露した。

ところが、それからしばらくして私に出演してほしいと言うではないか!

すでに著書は出版していたが、当時は都立高校の一教員。バラエティー番組に出ることを教育委員会は認めないだろうし、そもそも堺正章さんやくりぃむしちゅーなど、芸能人を前に授業なんてできるわけがない、そう思って即座に断った。

ところがスタッフがあきらめてくれず、しばらくごねたものの、最終的に出演を決意したのである。

◆人生を変えた肖像画

初めての授業では、偉人の面白いエピソードを話すことに決まったが、何度目かの打ち合わせのあとで担当ディレクターと雑談しているさい、何気なく私が「教科書の内容も年々変わり、あの有名な源頼朝像も別人の可能性が高くなって、教科書から消えちゃったんです」と言った。

その瞬間、ディレクターの顔つきが変わり、「先生、ぜひ、それをやりましょう!」と大声を上げたのである。

かくして「あなたが学校で学んだ歴史はもう古い」というテーマで、近年、教科書から消えた内容をテレビで話したところ、大反響となった。

この日以来、私の人生は変わってしまった。

ときどき好きな本を書きながら定年まで教員をつとめあげるつもりでいたが、執筆や講演の仕事が急増し、ついに退職せざるを得なくなり、いまは大学の客員教授の肩書きで本を書いたり、講演をしたりして生計を立てている。

だから私にとって源頼朝の肖像画は、非常に思い出深いものなのである。