その女性客は“オバケ”ではなかったけれど…「津田梅子」新札登場でふと思い出した【タクシードライバー哀愁の日々】#

AI要約

タクシードライバーのお客の男性客と女性客について述べられています。男性客の方がおいしいお客とされる一方、女性客は職住近接タイプであまり料金が出ないことが語られています。

記事では、深夜働くタクシードライバーにとってありがたいのは長距離のお客で、その中でも女性客はほとんどいないと述べられています。

また、記事には一つの忘れられない女性客の思い出が描かれ、その女性客の勤務態度やエピソードが紹介されています。

その女性客は“オバケ”ではなかったけれど…「津田梅子」新札登場でふと思い出した【タクシードライバー哀愁の日々】#

【タクシードライバー哀愁の日々】#25

 タクシードライバーが乗せるお客の7割以上は男性客といっていい。ただ、深夜の銀座、赤坂、六本木といった盛り場では、仕事を終えたホステスさんのお客も多くなる。バチが当たりそうだが、正直なところ、こうしたお客さんはドライバーにとってはあまり「おいしいお客」ではない。なぜなら、ほとんどの場合、彼女たちは職住近接タイプであまり料金が出ないからだ。1時間、2時間とタクシー乗り場で待っていて、ようやく順番が来たと思ったら1000円以下の近距離ということになると、本当に申し訳ないが、ガッカリということになる。

 もちろん、それはドライバーの勝手な言い分であって、乗っていただけるだけでも感謝しなければならないのは重々承知だ。一方、深夜働くタクシードライバーにとってありがたいのは長距離のお客さんだ。なかには、都心から八王子、鎌倉、成田とか2万円前後の料金が出るケースもあって、こうしたお客さんをドライバー仲間は「オバケ」と呼んでいる。「オバケ」はドライバーにとって、ちょっとした当たり馬券のようなものだ。この「オバケ」も女性はほとんどいない。ある意味で、これは日本が男性中心社会であることを表しているといえるかもしれない。

■忘れられない女性客

 女性客といえば、忘れられない思い出がある。10年ほど前のある春の夜、銀座でのことだ。無線配車で指定の場所に到着した。待っていたのは60代とおぼしき女性。乗り込んでくるなり「運転手さん、今日はいい日だったの。聞いて」と明るく話しかけてきた。目的地の確認以外、こちらから話しかけるのはルール違反だが、お客から話しかけられれば応対するのがマナーというものだ。「どうなさいましたか?」と私は応じた。お酒が入って上機嫌そうなそのお客は、待ってましたとばかりに「私、今日で銀行を退職したの。入行して以来、最後まで勤め上げたの」と語りはじめた。そして、大学4年生のときに受けた銀行の面接試験のエピソードを紹介してくれた。

 その話によれば、面接官の「あなたはいつまで勤めるつもりですか?」という問いに対して、彼女は「定年までです」と答えたという。3人の面接官は、大笑いして「元気がいいね」と彼女の言葉をジョークとして聞き流したという。当時、多くの企業、とりわけ銀行などでは、ほとんどの女性は入社後数年過ぎれば、結婚によっていわゆる寿退社するのが当たり前の時代だった。

 しかし、彼女は違った。入行後、結婚したものの仕事を続け、出産後も銀行をやめることもなく定年まで勤め上げたのだという。仕事と家庭を両立させたばかりか、男性に負けじと猛勉強に励み、博士号、MBAも取得したというのだ。

「周囲の人たちは、男も女も結構冷ややかでしたけどね」と彼女は小さく笑ったが、私にもその大変さは理解できた。そして、「当時の面接官に、私、定年まで勤めましたよって言いたかったけど、その方はとっくに退職してました。ハハハ」と今度は豪快に笑った。

「運転手さん、すっかりいい気になって自慢話しちゃった、ごめんなさい。聞いていただいてありがとう」

 目的地に着くと、彼女は照れくさそうにそう言いながらクルマを降りていった。私は「お疲れさまでした。これからもがんばってください」とエールを送った。乗車料金は5000円ほどで、彼女は「オバケ」ではなかったが、降ろした後、私は不思議な爽快感を覚えたものだ。いまでも忘れられないお客だ。

 ちなみに今年、「津田梅子」が、新5000円札の顔に採用された。そのニュースを聞いて私はなぜかその女性のことを思い出していた。

(内田正治/タクシードライバー)