「人生で初めてカバンを“使い切る”! モノも自分もクリエイトで新たな発見」稲垣えみ子

AI要約

布カバンとの別れから感じる思いをつづる。

持ち物を大切に使い続ける新習慣の大切さ。

修理や工夫で長く使えるものに対する考え方。

「人生で初めてカバンを“使い切る”! モノも自分もクリエイトで新たな発見」稲垣えみ子

 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 先日、あるモノとのお別れがあった。

 6年ほど愛用し続けていた布カバン。友人に「使わないから」と頂いたもので、トートタイプだが持ち手が長めで斜め掛けできるので、自転車生活にはベストマッチ。定期的に洗濯しながらほぼ毎日、行動を共にしてきた。

 だが数年前からポケットや角の部分が破れ始めて危うく入れたものを落としそうになり、「カバンとしてどうなんだ!」という事態に。だがもはや相棒とも言える存在ゆえどうにも別れ難く、当て布をして修繕しながら使い続けてきたんだが、ついに肝腎要の持ち手が千切れる寸前となるに至り、ここまで来れば「天寿を全うした」ということであろうと泣く泣く、しかしある種すっきりした気持ちでお見送りを決意したのでありました。

 ここまでカバンを「使い切った」のは初めてである。消費生活に狂っていた会社員時代は、今使っているカバンが古びてもいないうちから新しいカバンが欲しければ次々買うのが普通だった。会社を辞め暮らしを小さくしてから「今あるものがダメになったら買う」という新習慣が生まれたのだ。

洗濯しながら使っていたがここまで使い倒すと黒光り。でもそれもまた好きだった(写真:本人提供) その際、案外難しいのが「ダメになった」という判断基準である。いや難しいというより、それはどのようにでもクリエイトできるのである。例えば、皿は割れてもハーフサイズの皿とみなすこともできる。鍋の取っ手が取れても鍋つかみを使えば立派な鍋である。

 多少元の形状が崩れても「まだまだいけるはず」と信じ、身近なものに修理や工夫で長く活躍してもらう行為は、既に老眼が相当進み脳の働きも衰え、これからももっといろんなものがダメになっていくであろう自分とどう付き合っていくのかという大問題と、かなり繋がっている気がする。そう思うと、あのままアホな消費生活をダラダラ続けていなくて本当に助かったと思わずにはいられない。

 で、この調子でいくと、人生で使うカバンは多くとも五つくらいってことになる。心を入れて付き合わねばですね。

いながき・えみこ◆1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など。最新刊は『家事か地獄か』(マガジンハウス)。

※AERA 2024年7月1日号