母親が亡くなったショックで大学中退、「ケアロス」で外出もできず…20代「元ヤングケアラー」が訴えたいこと

AI要約

改正「子ども・若者育成支援推進法」が成立し、ヤングケアラーの支援を拡大することが明確化されました。

30歳過ぎで母親の介護経験を持つ元ヤングケアラーの苦労や葛藤が語られました。

三島さんの場合、大学生活を両立しながら、乳がんを患った母親を介護する過程で様々な苦労を乗り越えました。

母親が亡くなったショックで大学中退、「ケアロス」で外出もできず…20代「元ヤングケアラー」が訴えたいこと

 ヤングケアラーの支援強化を盛り込んだ「子ども・若者育成支援推進法」改正案が2024年6月5日可決、成立しました。これは、「子ども・若者育成支援推進法」にヤングケアラーを盛り込み、18歳を過ぎても切れ目のない支援がうけられるよう法的に明確化され、状況等に応じ40歳未満まで支援対象が拡大されます。

 筆者自身、30歳過ぎから認知症祖母や脳梗塞・ガンなど罹患した母親をほぼ1人で10年ケアをし、数年前から「ヤングケアラー支援は30代まで拡大する必要がある」と執筆や講演やメディアなどで訴えてきた一人として、隔世の感があります。

 18歳~30代といえば、就職、結婚、出産、育児、仕事上のキャリア形成と人生の重要なターニングポイントです。その時に、親などの介護が必要になれば人生に大きな影響が出る可能性があります。現状の自治体による支援の格差のバラつき解消や、さらなる支援の拡大が期待されます。

 今回は、18歳を過ぎてから母親のケアを経験した元ヤングケアラーを取材しました。若くして母親を介護する中での苦悩や葛藤、介護後の学業・就職や身体への影響などについて訊きました。最後までご覧いただければ幸いです。

 三島俊祐さんは現在、関西に住む20代男性で、家族構成は父親、姉の3人家族。父親は自営業を営み、姉は会社員として働いています。

 三島さんは関西の大学のリハビリテーション学部で学生生活を満喫していた10代後半の頃、母親に乳がんが発覚。一度寛解したものの再発し、ケアが必要に。父親や姉と協力して、母親を介護することになりました。三島さんは、さまざまな苦労があったといいます。

 「母親は、腕や肩が上がりにくかったので、ほとんどサポートをしていました。細かいケアがたくさんあるのが大変でした」(三島さん)

 三島さんは、大学に通い、バイトをしながらも、家事や病院の付き添いなど母親のケアほぼ全般を担っていました。

 「時間だけが過ぎてしまいました。自分の事を考える暇はなかったです」(三島さん)

 しかも、母親が乳がんの余命宣告をうけたのです……。

 「母親が余命宣告をうけた日は今でも忘れることができません。父親があれほどショックをうけた表情を見せたのは初めてです。終わりが来るのをわかってケアをするのも辛いんです。また、ケアを終えた時どんな形で復学できるのか、家族の不安を打ち明けられる人はいるのかなど、心中は不安でいっぱいでした」(三島さん)