建築界の巨星、槇文彦逝く。享年95歳。

AI要約

建築家の槇文彦が6月6日に亡くなった。彼の生涯や作品、思想について振り返る。

槇文彦は代官山ヒルサイドテラスなど数々の作品を残し、建築界で多大な影響力を持った。彼の最新作である鳥取県立美術館も注目されていた。

槇文彦は無償の愛や文化の重要性について熱く語り、その思想は彼の建築作品にも反映されていた。

建築界の巨星、槇文彦逝く。享年95歳。

〈代官山ヒルサイドテラス〉などで知られる建築家の槇文彦が、6月6日に旅立った。

晩年は亀本ゲーリーにバトンタッチしながらも、遺作となった最新作〈鳥取県立美術館〉まで設計に参加。90歳になってもロンドンで講演会を行うなど、生涯現役の建築家だった。

1928年東京生まれの東京育ち。幼稚舎から学んだ慶應を学部の途中で中退し、東京大学工学部で建築を学ぶ。丹下健三に師事した後、アメリカに留学。ハーバード大学デザイン大学院を卒業後、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルやセルト・ジャクソンの元で経験を積む。また現地の大学で教鞭を取るなどして、理論と実戦の両面で国際的な教養を身につけた。

1960年には、東京で開催された「世界デザイン会議」を機に結成された〈メタボリズム〉に菊竹清訓、黒川紀章らと共に参加。高度成長期に提示された、可変性や増築性のある都市計画は、建築史に残るインパクトを与えた。1965年には、槇総合計画事務所を設立する。

国内外に数ある作品を残している槇だが、建築がまち作りや生活の質を上げる重要な役割を果たすことを実感できる作品が、〈代官山ヒルサイドテラス〉だろう。1968年から98年まで、30年をかけてじっくりと醸成された建築群は、長らく人々に愛され続けている。国内外で大きく評価された槙は、1993年にプリツカー賞、1999年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

晩年は「無償の愛」について、語っていたことも印象深い。

「マドリッドのオペラハウスの前の広場で、中で上演されているドミンゴが歌う様子をたくさんの人がスクリーンで観ていました。タダでドミンゴが聴けるってすごいなと。そこから、文化とは無償の愛なのでは、という思いが浮かんだのです。私たちは無償の愛を元に、行動を考えていくべきではないでしょうか」(2018年9月、ロンドン〈ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ〉での講演より)

戦争体験者で、激動の時代を生きた槇。彼が残したこの言葉にはずっしりと重みがある。建築作品とともに胸に刻みたい。知と愛に満ちた真の建築家だった。

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