「踊れても、あと5年」身長128cmのダンサーDAIKIが大河ドラマ出演に至った道

AI要約

DAIKIは軟骨無形成症という病気を持ち、身長が128cmであることをブランドとして誇りに思っている。

小学4年生の時に自らの病気を知り、最初は怒りや反抗心を感じるものの、先生のサポートを受けながら頑張っていた。

教員免許取得を目指していたが、実技試験の壁にぶつかり、最終的にはダンスに転身して新たな夢を見つけた。

「踊れても、あと5年」身長128cmのダンサーDAIKIが大河ドラマ出演に至った道

【前編】大河・須麻流役DAIKI「うちの子に何か?」心ない言葉と戦った母・ひろ江さんと身長128cmの息子の挑戦から続く

死期を悟った安倍晴明に寄り添い、ともに美しく神秘的な最期を迎えた須麻流。大河ドラマの大役を演じ切ったDAIKIは128cmの身長を「ブランド」と語る。低身長で四肢が短いという特徴がある軟骨無形成症という病気。その病とともに30年。ときには好奇の目を向けられ、ときには心ない言葉を投げられ、ときには努力ではどうすることもできない壁にぶち当たり……。それでも前に踏み出すDAIKIの人生とは?

DAIKIが軟骨無形成症であることを知ったのは、小学4年生のとき。学校に導入されたばかりのパソコンに「足が短い」など特徴を打ち込んで検索し、自らの病気を知った。

「家に帰ってオカンに『なんで今まで言わなかったの、オレの病気、これでしょ』と聞いたら『そうだよ』と。なんで教えてくれなかったんだと怒ったら、『自分で気づかないと受け入れられないし、病気を理由にできることを事前に決めちゃうと可能性を狭めてしまうから……』と言われましたけど、まあ、納得できなかったですね。なんでこの体で生まれてきたんだろうと思って、教室に行っても机を蹴っ飛ばしたり、先生に物を投げたりとかしていました」

このころのDAIKIは荒れていた。

「僕が通った中学校にはヤンチャ坊主が多かったんですが、その不良仲間の一人が『お前、堂々としておもしれえじゃん』と言ったんです。それぞれ家庭に事情があるヤツらと一緒にいると、自分が病気だということも忘れられる。何か言われたり、嫌なことがあってもケンカしちゃえばいいから楽でした」

だが、そんなDAIKIとも向き合ってくれる先生がいた。

「中学1~2年の担任が授業をサボり続けている僕をずっと追いかけてくる先生で、なんで僕のような生徒に対して真っすぐ向き合えるのかと聞いたときに『見捨てられない』とひとこと言われて。教師になりたいというよりも、この人になりたいと思うようになったんです。それが中学3年に上がるとき。そこから小学生レベルの勉強から始めました」

進学した高校でも勉強を続け、和光大学に進学。いよいよ教員免許取得に挑み、日本で初めて保健体育科の教員免許を取得した軟骨無形成症の人となった。大学卒業後には、東北地方のある公立中学校で教員の道を進むはずだった。ところが卒業式の10日前に連絡があり、突然白紙に。

「先方の都合です。頭が真っ白になりました。ほかの学校で教師になるためには実技もある採用試験を受けるしかありません。筆記はできても、僕の身体上できない実技がある。ある学校では、障害のために実技試験ができなくても、病気などで見学していた人と同様に0点になると言われました。そもそも試験さえ受けさせてくれない学校もありました」

教員免許を取得しても、教師になるのには大きな壁があった。それでも諦めずに、家賃2万円の部屋で奨学金を返済しながら、ときに白飯と魚肉ソーセージだけの食事で過ごしたこともあった。

「バイトもことごとく断られますからね。書類で落とされたり、面接で、この体を見て『帰ってくれ』と言われたことも。社会人1年目はそんな状況で、『仕事にできるのはダンスしかない』という事実を受け止めました」

悔しい思いはしたが、中学時代に芽生えたもう一つの夢、ダンスに目標を切り替えた。