NHK局アナ新人時代は「一輪の大木」「ガリバー武内」と呼ばれた【武内陶子「今があるのは…」】

AI要約

武内陶子さん(59)の仕事のスタートは失敗続きだった。地元松山のNHK局に配属された際、間違いや失敗が絶えず、生放送でのハプニングも多かった。

地元出身の新人アナウンサーとして視聴者に見守られながら成長し、6年後には東京のNHKに移り、おはよう日本のキャスターを務めるまでに成長した。

その過程で、愛媛の地元の人々からは次第に「うまくなったね」と声をかけられるようになった武内陶子さんの苦労と成長が描かれている。

NHK局アナ新人時代は「一輪の大木」「ガリバー武内」と呼ばれた【武内陶子「今があるのは…」】

【武内陶子「今があるのは…」】#1

「おはよう日本」「スタジオパークからこんにちは」などNHKで33年間活躍した現フリーアナ武内陶子さん(59)の仕事を振り返る連載。地元松山からのスタートは失敗続きだった。

 1991年に入局した社員がNHKの各地方局に配属されますが、大阪や福岡など大きな局と違い、当時は松山放送局に新人アナウンサーが配属されたのは約30年ぶりでした。地元の新聞に載ったくらい久しぶりのことだったんです。

 背が高いので局内では「一輪の大木」とあだ名をつけられて。先輩たちはかわいがってくれるためにつけてくれたのですが、そのあだ名も私が失敗すると変わっていくんです。

 生放送での言い間違えは数知れず。「間もなく9時になります」と言った時は8時半だったり。間違いに気づいて「あ!」と焦った私の顔で番組が終わったり。地元の方たちには「あんた見よったらこっちも緊張するわいね~」とよく声をかけられました。「陶子さんがまたやりよったわ」とおばあさんたちの噂になるほど。もちろんおばあさんたちにもかわいがっていただきましたよ。

 当時は東京で2週間の研修を経たら各放送局に行き、現場で学びなさいという方針でした。

 お昼のニュースにもすぐ出させていただきました。視聴者のみなさんは私が映ると「出た! 今日はちゃんとしゃべれるか」と心配しながら見てくれて。約30年ぶりの新人アナで地元出身だから、みなさん見守ってくれていました。

 ニュースもようやくちゃんと読めるようになった頃、初めてのロケに出かけた時です。水と親しめる親水公園で入り口からしゃべりながら歩くのですが、まだカメラを意識できないし、私はすごく大股で歩くので、いざ本番が始まるとズンズン歩いちゃって画面から消えちゃった。重たいカメラを担いでいるカメラマンがスピードについてこられなかったんです。

 スタジオの先輩アナは「武内さん! どこですか」と大慌て。最後は「大型新人の武内アナが公園を闊歩していましたねえ」と締めくくられました。

 終わる直前にミニチュアの建物が作ってある水深の浅い場所に靴を脱いで入ったのですが、局では「まるでガリバーみたいだ」と噂になり、それからしばらくは「ガリバー武内」と呼ばれました(笑)。

 入局から6年後、東京のNHKに移り「おはよう日本」を担当した頃、たまに地元に帰ると町の方から「陶子さん! だいぶうまくなったねえ!」と声をかけられたくらいでした。

(構成=松野大介)

▽武内陶子(たけうち・とうこ) 1965年4月、愛媛県出身。91年にNHK入局。昨年秋からフリーに。