「最後はスタッフから『もう無理』と…」THE ALFEEが明かした“時効の話” 10万人ライブ解散説、アンコール7回、横浜で警察から…【デビュー50周年】

AI要約

1986年、THE ALFEEは東京湾13号埋立地で野外ライブを開催し、日本初の観客10万人動員を達成。お台場でのライブは邦楽シーンにおける大規模ライブの先駆けとなった。

高見沢が「東京ベイエリア」の名付け親であることを明かし、10万人のお客さんから漂う大波のような熱気を振り返る。

ライブ終盤の新曲「ROCKDOM―風に吹かれて―」でのリフレインは、今後はライブの質で勝負するとの意思表示だったが、一部から解散説が広まるなど誤解が生まれた経緯を語る。

「最後はスタッフから『もう無理』と…」THE ALFEEが明かした“時効の話” 10万人ライブ解散説、アンコール7回、横浜で警察から…【デビュー50周年】

デビュー50周年を迎えたロックバンド、THE ALFEE。10代で出会い、解散も活動休止もなく半世紀にわたって音楽シーンの最前線で活躍しているバンドは世界的にも稀だ。3人で駆け抜けた日々を振り返る。

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〈1986年には東京湾13号埋立地(現在のお台場)で野外ライブ「TOKYO BAY-AREA」を開催。単独アーティストでは日本初の観客10万人を動員。邦楽シーンにおける単独大規模ライブの先駆けとなった。〉

 坂崎 まず、その前年に横浜スタジアムで3日間やったんだよね。

 高見沢 それでも全国から「チケットが取れない」という声が殺到していたから、売り切れない広大な場所を探して。お台場は当時「ウォーターフロント」と呼ばれていたんだけど、なんかピンと来なくて、「東京ベイエリアってどうかな」って言ったら、それがいいということになってほぼ即決だったね。

 坂崎 その後、世間に広まった呼び方だけど、実は高見沢が発案者。

 高見沢 代々木の寿司屋で閃いた。ねぎとろを食べた瞬間に(笑)。

 坂崎 ステージから見る10万人のお客さんは、大波のようだったね。

 高見沢 最後に歌った新曲「ROCKDOM―風に吹かれて―」で、「俺達の時代を忘れないで」というリフレインを歌った。10万人ライブを機に、今後はお客さんの数ではなく、ライブの質で戦っていくぞという宣言のつもりだったんだけど、業界関係者や一部のファンから「解散か?」と誤解されちゃって。

 坂崎 こっちは「来年は何をしようかな」と考えていたのにね(笑)。

 高見沢 当時の音楽業界は、バンドはピークを迎えたら解散という空気が流れていた。僕らの先輩で続けているバンドもほとんどいなかったし。

 桜井 辞めるわけないよ。車を買ったばかりだったしな(笑)。

 坂崎 その年のクリスマスイブには、横浜スタジアムに特設テントを張って、オールナイトライブをやったよな。

 高見沢 でも音が大き過ぎて、警察から中止命令が出ちゃって。

 坂崎 途中で高見沢がステージからいなくなっちゃったんだよね。

 桜井 見たら、ステージ裏で警察に呼ばれていた。角刈りと違って本当の「事件」(笑)。

 高見沢 必死に説明したけど、仕方なく中止に。それで翌年、日本平ホテルで朝までやって雪辱を果たした。