今田耕司、昭和芸人の豪快なお金エピソードに「今、そんなんしてたら…」

AI要約

タレント今田耕司(58)が、昭和の芸人たちの豪快なお金にまつわるエピソードを紹介。昭和50年代のギャラや、紙袋に入った札束など、驚きの話が続々と登場。

今田が、昭和の芸人・島田洋七の逸話を披露。ファンレターだと思っていた紙袋が実は何千万もの1万円札で満たされていたという驚きのエピソード。

洋七が札束入りの紙袋を手に高級車を購入しようとしたが、ナンバープレートの準備を怠り、帰り道で立ち往生するハプニングも。昭和の豪快さに改めて驚きを見せる今田。

 タレント今田耕司(58)が、24日放送の読売テレビ「今田耕司のネタバレMTG」(土曜午前11時55分=関西ローカル)に出演。昭和の芸人のお金にまつわる豪快なエピソードについて語った。

 この日の番組では、ザ・ドリフターズが全盛期だった昭和50年代、1回の営業のギャラが、当時で1800万円だったという話題に。この金額に、今田は「今の時代やったら、少なくとも(価値は)3倍はあるんじゃない。5400万円とか…」と驚いた。

 元衆院議員で実業家の杉村太蔵氏(45)が、「この当時だったら、全部が全部振り込みじゃなかったんじゃないかな。そう考えると1800万円を紙袋でもらってたんじゃないかな」と、当時は多くが現金のやりとりだったことに言及。

 これに、今田も、「(島田)洋七さんが漫才ブームでフリーになった時に、紙袋をファンレターやと思って押し入れに入れっぱなしにしていた。『それお金やで』って(聞いて)、押し入れを開けて見たら全部1万円札で、何千万か入っていたっていう逸話が…」と明かした。

 今田によると、洋七はその札束入りの紙袋を手に、ビートたけしと2人で高級車のポルシェを買いに行ったそうで、「(車を購入したら)ナンバープレートの申請をしないとダメじゃないですか。(洋七は)乗って帰れると思ってたらしいですよ、靴みたいに。(販売店に)『今日は乗れないんですよ』って言われた…」と苦笑。

 「すごいよね、昭和のお金なかった人が急に大金を持ったエピソードとしては。今、そんなんしてたら反感買うだけでしょ?」と改めて昭和の芸人の豪快さに感心していた。