岩谷健司【2】ピンク映画から社会派まで幅広いジャンルの作品に出演!

AI要約

岩谷健司さんは演劇ユニット「切実」の活動や映画への出演を通じて知られる俳優であり、ピンク映画にも出演経験がある。映像作品に対する興味や挑戦を通じて、新たな表現の可能性を模索している。

ピンク映画の撮影では細かな指示を受けながら、恥ずかしくても段取りを決めて演技することが重要である。アフレコでの撮影や監督の指示に従いつつ、役作りに取り組んできた。

彼の芝居を見に来たことがきっかけで、現在の妻と知り合い、一緒に映画などの作品を楽しんでいる。笑いを共有しながら、刺激的な映像作品に挑戦し続けている岩谷健司さんの姿が浮かび上がる。

岩谷健司【2】ピンク映画から社会派まで幅広いジャンルの作品に出演!

2002年、村松利史さん、岡部たかしさんとともに演劇ユニット「午後の男優室」を結成し、その後、CMディレクターで映画監督の山内ケンジさんの演劇ユニット「城山羊(しろやぎ)の会」などに参加して多くの小劇場に出演してきた岩谷健司さん。演出家を招かず自分たちで創る場として岡部たかしさんとタッグを組んだ演劇ユニット「切実」としての活動も話題に。舞台をメインに活動しながら、映画「岬の兄妹」(片山慎三監督)、「共演NG」(テレビ東京系)、「Believe-君にかける橋」(テレビ朝日系)、「地面師たち」(NETFLIX)など映像作品にも多数出演。映画「輝け星くず」(西尾孔志監督)が全国順次公開中。8月23日(金)には映画「ラストマイル」(塚原あゆ子監督)の公開も控えている。

岩谷さんは、2009年の「若義母 むしゃぶり喰う」(竹洞哲也監督)でピンク映画にデビューして以降、数本の作品を経験したという。

「30代後半、39だったかな。舞台で初期の竹洞組のレギュラー俳優だった松浦祐也くんと知り合って、映像出身だと言うから聞いたらピンク映画で。ずっとやっていたっていうから、ちょっと1回だけやってみたいと思って(笑)」

――それまでピンク映画を見たことはあったのですか

「見たことはなかった。ただ、日活ロマンポルノとか、そういうのは家の近所の映画館でやっていて、中学高校時代興味はあるんだけど見られない。映画館に入れてもらえないじゃないですか。だからちょっと憧れはありましたよね」

――でも、見てみたいというのと、やってみるのとはまた違うと思いますが

「違いますね。でも、1回やってみて、どのぐらい自分がなくなるかとか、それを映像で見た時どう見えるんだろうとか、そういう興味もありましたね。それで竹洞さんを紹介してもらって、わりとすぐに出ることになりました。あの世界は人手不足だから(笑)」

――当時、恋人はいらっしゃいました?

「いました。彼女の理解がなければできませんからね。よく一緒に(出演作を)見に行っていましたよ(笑)。その時の彼女が奥さんです」

――「ここはもうちょっとこういう風にした方が…」とか言われたりするのですか

「いや、ゲラゲラ笑っていますね(笑)。そういったシーンで変にスローモーションになったりするじゃないですか。爆笑していましたよ」

――奥さまと一緒に見に行くというのはすごいですね

「一緒に映画館に見に行った時、たまたま共演した女優さんが彼女にちょっと似ていたんですよ。それで、上映が終わって明かりがついた時、前の座席のお客さんが俺たちを見て『一緒に見に来たんですか?』って(笑)。その女優さんと間違えられて大笑いしていました」

――映画などのラブシーンの撮影の時、監督に「とりあえずやってみて」と言われると、自分の日頃の手順が出ちゃうから、すごく恥ずかしいと俳優さんが言っていました

「それは恥ずかしいです、俺も。難しいですね。だからいっそのこと、『こうやって、こうやって…』って細かく言ってくれた方が『監督の指示だから』って言えるけど、『とりあえずやってみて』は俺もイヤですよ(笑)。

ピンク映画の場合は、一応ちゃんと指示があるんです。そういったシーンは全部段取りを決めますよ。ピンク映画はアフレコでやっていたので、あとで音を録るから現場の音は入らないんです。だから撮りながら監督が指示を飛ばしてきていたんですよね。

『じゃあ、次胸にいきましょう。はい、触って。はい、いきますよ』という感じですべて監督の指示に合わせてやっていただけなんです。そうじゃないと恥ずかしくてできないですよ(笑)。

だってスタッフとかに『岩谷さんは普段こういう風にしているんだ』って思われたらイヤじゃないですか(笑)。ピンク映画はもうやってないですけど数本出ました」