「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在”

AI要約

19歳で撮った映画『MOMENT』で手塚眞監督が父・手塚治虫と大島渚を驚愕させる展開を見せる。

『星くず兄弟の伝説』はカルトムービーとして企画されたが、途中でビジネスとして成立させる方向に進化し、インディーズ映画の先駆けとなる。

若さと勢いで取り組んだプロダクションではスケジュール管理が難しく、スタッフは甘さを見せる。

「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在”

〈《父・手塚治虫が心配し大島渚が驚愕》「観客を不幸のどん底に突き落とす」手塚眞監督(62)が19歳で撮った映画『MOMENT』の恐るべき展開〉 から続く

『MOMENT』を見たミュージシャンの近田春夫氏から「一緒に映画をやろうよ」と声をかけられて始まった『星くず兄弟の伝説』。当初は「月1で夜ライブハウス上映」のカルトムービー企画だったが、次第に方針が変わっていって……。好評インタビューシリーズ第3弾の最終回。(全4回の4回目/ #1 、 #2 、 #3 を読む)

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―― 『星くず兄弟の伝説』は一般映画として公開された最初の作品ですね。

手塚 近田(春夫)さんが最初におっしゃっていたのは、「これは映画館じゃなくてもいい。ライブハウスでもいいんじゃないか」と。その代わり、月に1回必ず夜上映しているみたいな。要するに、カルトムービーを作ろうと思っていたんです。その頃、『ロッキー・ホラー・ショー』が、どこかの映画館で毎月1回上映されて、そこに好きな人だけ集まってみんなで盛り上がるみたいな流れがあって、そんなことをやりたいんだとおっしゃっていたんです。

 僕はそれでもいいと思っていたんです。でも、途中からやっぱりそうじゃいけない、ちゃんとビジネスとして成立させなきゃいけないんだという話になって、近田さんは背広とネクタイ姿で、プロデューサーです、ということになった。映画業界じゃない人間、音楽業界とか学生とかそんな人だけが集まって、自分たちでお金を集めて作るということでは、たぶん今のインディーズにつながる一番最初の映画かなという気がします。

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―― 現場はプロ体制のスタッフだったんですか?

手塚 プロでも、助手のクラスの人が多かったんです。一本立ちするために、何かいい仕事がないかと考えていたようで。カメラの大沢さん(注1)なんかそうですね。ずっと阪本善尚さんに付いてきて、1本目で『星くず』をやったという感じなんです。

―― 8ミリと違って、スケジュールの管理とか、窮屈なところもあったかなと思うんですけど。

手塚 そこはみんな甘かったんですよ。みんな若かったから勢いだけでやっていたので、一応スケジュールは立ててはいたんだけど、到底ハマってないんです。始めてみたら徹夜徹夜の連続で「これ、本当に終わるのか」みたいになっちゃって。