<ネタバレ注意>まるでコンテンツ従事者の踏み絵のような作品「ルックバック」 二次制作の功績にも理解と顕彰が必要だ

AI要約

初期衝動が人生を造形していく素晴らしさと同時に、故に何かを失う酷薄さ、才能の邂逅(かいこう)とは必然であり、幸福でありながら残酷さと表裏であることを描いた作品。自身にこんな喪失が訪れたら一体どうなるか――考えただけでそら恐ろしい作品である。

当作は一見、感性の離合を描いているようで、実はまったく逆のものだ。物語は極めて単純だ。才能の開花は自身によって行われたのではなく、自身を花として見てくれた他者により初期衝動が発動したことによる。同時にヒトの魂から出力されたものに対する理不尽な抗議は、不意にテロリズムのように襲い掛かることがあると改めて警告してくれている。

中学時代、友人たちと漫画の同人誌を作り続けたことを思い出した。クリエーターになったのはいちばん絵が下手だった私だけだ。物語を通じて、観客に「感動にはストーリー上の変化球やギミックなど一切必要無」ということを自覚させてくれる。とても素直で純粋な物語だった。

<ネタバレ注意>まるでコンテンツ従事者の踏み絵のような作品「ルックバック」 二次制作の功績にも理解と顕彰が必要だ

初期衝動が人生を造形していく素晴らしさと同時に、故に何かを失う酷薄さ、才能の邂逅(かいこう)とは必然であり、幸福でありながら残酷さと表裏であることを描いた作品。「バクマン。」はリアルな設定の上に描かれたファンタジーだったが、当作は人生の射幸と喪失があまりにも現実的で恐ろしい。自身にこんな喪失が訪れたら一体どうなるか――考えただけでそら恐ろしい作品である。

当作は一見、感性の離合を描いているようで、実はまったく逆のものだ。魂が引かれ合った者同士は、必ずもう一度再会をしようと、それぞれの時間を食(は)んでいく。その結末のひとつを描いている。同時にヒトの魂から出力されたものに対する理不尽な抗議は、不意にテロリズムのように襲い掛かることがあると改めて警告してくれている。

物語は極めて単純だ。才能の開花は自身によって行われたのではなく、自身を花として見てくれた他者により初期衝動が発動したことによる。才能たちは再会するために散開し、再会は思いがけない暴力によって無惨にも破壊され、永遠の別れが訪れる。終劇時にとどめなく湧き出す感動は、観客に「感動にはストーリー上の変化球やギミックなど一切必要無」ということを自覚させてくれる。とても素直で純粋な物語だった。

中学時代、友人たちと漫画の同人誌を作り続けたことを思い出した。勉強もせず、彼女も作らず、夏休みはクーラーの利く図書館で、冬休みはコタツでひざを突き合わせ、この映画と同じようにわき目も振らずに描き続けた。クリエーターになったのはいちばん絵が下手だった私だけだ。映像監督たちに「編集うまいね」と言われるのは、この時にコマ割りをしまくったお陰だろう。皆何かに取りつかれたように描き続けていた。理由は自分たちでも分からなかった。互いに自作で相手をうならせてやろうと、ひたむきに描き続けた。藤野の背中と同じである。描き続けて数年が経過し、気づくと漫画よりもリアルを撮影できる、映画の世界にたどり着いていた。

やめようと思ったのも同じである。「こんなにうまいやつがいる」と思った瞬間、投げ出した。けれどもかぶとを脱いだ相手からの賀状に「あなたの作品は絶対にまねができない」と書かれていて、藤野のように魂を揺さぶられ、もう一度、作劇の世界に戻ったのだった。こんな経験をしたクリエーターたちは、きっと世界中にいるに違いない。そしてそんな彼らから時代を動かす作家が生まれていることも間違いないのだ。当作の動輪が優れているのはこの点だ。ヒトによってはそれがスポーツであったり、ダンスであったりとさまざまであろうが、居ても立ってもいられない、表現するしかない情動は、恋愛感情や3大欲求をはるかに超える、ヒトの生の証明でもある。ここから物語は走り出す。