交際発覚で引退した元人気グラドル、“泥沼裁判”→費用払うために銀座でホステス 現在は年商6000万円実業家に

AI要約

山本早織はグラビアアイドルとして16歳でデビューし、大ブレイクしたが、11年後に芸能界を引退する運命に追い込まれた。彼女は恋愛禁止の厳しい事務所の中で秘密の彼氏と交際していたが、写真週刊誌に撮られてしまい、社長から厳しい制裁を受け、損害賠償請求までされる事態になった。

山本は身の安全を脅かされるなど、精神的に追い詰められたが、芸能界を引退した後はホステス業に転身し、驚くべき収入を得た。彼女は初めは常識がなく苦労したものの、お客からの支持を受けてNo.1になり、最高月収100万円を得た。

山本の人生は波乱万丈であり、苦難を経ても前を向いて仕事に取り組んでいる。今も美への追求を続けながら、自身の経験を活かして新たな道を切り開いている。

交際発覚で引退した元人気グラドル、“泥沼裁判”→費用払うために銀座でホステス 現在は年商6000万円実業家に

 2002年に16歳でデビューし、瞬く間にブレイクしたグラドルがいた。山本早織(やまもと・さおり)。バストの間にあるホクロをチャームポイントとし、スタイルの良さと愛らしい笑顔で世の男性たちを魅了した。だが、惜しまれながら11年に芸能界を引退。表舞台から姿を消した彼女は、どのような活動をしているのか。38歳になった山本さんの「今」を取材した。(取材・文=白川ちひろ)

 都内のカフェで対面した山本さんは、大人の女性になっていた。抜群のスタイルは健在だが、グラドル時代よりほっそりした印象だ。

「最近、ミスコンに出場したので少し体を絞ったんですよ。グランプリにはなれなかったけど、トップ5に選ばれました」

 表舞台から消えて13年がたつが、「美」への追求は継続しているようだ。では、グラドル時代はどんな思いで活動していたのか。

「デビュー当時は高校生で、バスケ部にも入っていたので本当に目まぐるしい日々でした。毎日のようにキャリーバッグをもって高校へ通い、1か月で13回飛行機に乗って全国を移動し、撮影したこともありました。その時は自分がどこにいて、何の雑誌の撮影なのかも、分からなくなっていました。家に着くのは夜11時から0時くらいで、毎日、クタクタでした」

 グラドルとして確固たる地位を築いていた。だが、10年目の11年に芸能界引退に追い込まれてしまった。

「今でこそ、彼氏がいることを公言しているタレントさんも多いですが、私たちの時代は恋愛禁止でした。当時の事務所は恋愛に厳しく、社長から『彼氏はいるのか』と聞かれると、『いないです』と答えていました。だけど、当時は内緒でお付き合いしているサッカー選手の彼氏がいました。そして、デート中を週刊誌に撮られてしまって……。社長はもう怒り心頭で、夜中まで事務所に監禁されて、『契約違反だから2000万円払って芸能界を辞めるか、彼氏と別れて今後3年間仕事をするか選べ』と迫られたんです。それを断ると、『家を売ってでも金を用意しろ』『裏社会を使っておまえの家を燃やすぞ』と脅されて、目の前が真っ暗になりました」

 その後、社長からの嫌がらせはヒートアップ。毎晩、長文の「キミを失いたくない」といったメールが送られ、実家に押しかけられたこともあったという。山本さんは体調を崩し、「不安障害」と診断され、芸能界を引退。12年12月には、社長から損害賠償を求めて提訴されるに至った。

「その時、いろんな方が『力になるよ』と言ってくれて会って話してみたんですが、なぜか、全員が『事務所に戻るように』と説得してきたんです。みんな、社長とつながっていたのかもしれませんし、周りが全員敵に見えたので、非公開のSNSで愚痴っていたんです。そうしたら、社長がそれら全てプリントアウトして裁判所に提出したんです。『体調悪いのにこの日は飲みに行ってる』『山本は仮病を使っている』と主張され、2000万円の違約金を請求されたんです。この時は『もう、体を売ってでもお金を作るしかない』と思うまで追い詰められました。そんな時、たまたま知り合った社長さんに『これから借金まみれになるかもしれないし、体を売るわ』と言ったら、『お前にそんな技術あるの』と返されました。そして、『お金を稼ぎたいなら』と銀座のクラブを紹介されました」

 山本さんはグラドル以外の仕事をしたことはなかったが、ホステス業には向いていたようだ。

「25歳まで外で働いたことがなかったので、常識がなかったんですよね。先輩ホステスさんから、『ドレスを着てストッキングを履いて来て』と言われたので、家にあったパジャマのワンピースにトレンカとサンダルを履いて行ったら、お店の方に『それじゃ、ダメだ』と怒られちゃいました。だけど、お客さまからはそんな初々しさがウケたのか、たくさんシャンパンを入れていただきました。そして、入店3か月でNo.1になりました。実はグラビア時代、お給料を月10万円以上もらったことがなかったんです。だから、やればやっただけ稼げることはうれしかったです。最高月収は100万円くらいで、トータルで3年ほどホステスとして働きました」