永瀬廉の“憂いを帯びた声”の魅力 『よめぼく』三木孝浩監督「お芝居になるとふとした瞬間に憂いの部分が…」

AI要約

Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』を手がけた三木孝浩監督が作品に込めた思いや、主演の永瀬廉とヒロインの出口夏希の魅力について語る。

春名慶プロデューサーの要望でNetflix作品に初参加した三木監督は、原作小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』を読んで作品に大きな希望を感じた。

作品では、限られた時間の中で生きる2人のラブストーリーを軸に、残された者たちの物語も大事に描いている。

永瀬廉の“憂いを帯びた声”の魅力 『よめぼく』三木孝浩監督「お芝居になるとふとした瞬間に憂いの部分が…」

Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(6月27日配信)でメガホンをとった三木孝浩監督がこのほど、本作に込めた思いや、主演の永瀬廉(King & Prince)とヒロインの出口夏希の魅力などについて語った。

森田碧氏によるベストセラー小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』(通称『よめぼく』)を映像化。余命1年の宣告を受けた主人公・早坂秋人(永瀬廉)と余命半年の宣告を受けた桜井春奈(出口夏希)が出会い、恋をして、限られた時間の中で今を懸命に生きる姿を描く。

これまで多くの珠玉の恋愛映画を手がけてきた三木監督だが、本作がNetflixは初参加。三木に声をかけたのは長年タッグを組んできた春名慶プロデューサーだった。

「春名さんとはたくさんの作品でご一緒してきたので、春名さんの求める作品像は僕なりに理解しているつもりです。Netflixは初参加ですが、どういうモノ作りをされるのかクリエイティブの視点でも大変興味があったので、是非にとお受けしました」

同タイミングで原作小説を読んだという三木監督は、最初はタイトルから「悲しい物語」を想像したが、読了してみるとそのイメージはかなり異なっていたとか。

「思っていた以上に明るさのあるお話で、非常にまぶしさを感じました。僕が今まで作って来た瑞々しい10代の子たちが一生懸命に生きているさま、みたいなことで言うと、この原作もその印象と近くて。もちろん余命という時間設定はありますが、大人になる過程の中で思春期をどう生きるかということと、ニアイコールだった」

そこには三木が青春映画を作る時、根底に持っている意識が大きく関係している。

「僕が青春映画を作る時は、“自分だったらこういう青春時代を過ごしたかったな”という意識で作っています。今回の余命設定も“自分だったら限られた時間の中でどう生きられるだろうか”と、自分ごととして捉えてみると、今まで作ってきた映画とより近しいものを感じました」

共に残された時間の短い2人=秋人と春奈のラブストーリーを主軸にしつつ、「残された者のストーリーも大事にしたかった」と三木監督は語る。

「命をまっとうして亡くなった2人が、これからも生き続ける人たちに何を残すのかということも、今回描きたかった大きな要素です。人は時に生きる希望を自分の中からではなく、他者から与えられることもある。それは生きている人だけでなく、亡くなった人から与えられることもあると僕は思っています。人が亡くなっても残されたものがあって、それによって生かされていく人もいるんだよということをこの作品で伝えたかった。そういう意味で2人が残す絵や、SNSのメッセージが、映画の中の友達や家族はもちろん、視聴者の方にとってもメッセージとして響いていけばいいなと」

ちなみに春奈が残したSNSのメッセージの仕掛けについては、「今どきのタイムカプセル」のイメージだとか。

「ネットの中で自分の中だけに収めたものが、もしかすると誰かに見つかるかもしれない、誰かに拾われるかもしれない……みたいなイメージです。もっと言うと海に流したボトルメッセージのような。それの現代版バージョンですね」

余命と言われると特殊で悲しい物語を想像しがちだが、三木監督にとってはある種普遍的な青春映画と変わらない。そんな三木の想いと原作へのリスペクトを大事にしながら、脚本家・吉田智子氏が繊細に物語を紡いでいった。

他人ごとではなく、自分ごととして――。その三木監督の意識は秋人と春奈を演じた永瀬廉、出口夏希らの役者陣はもちろん、スタッフ陣にも共有された。もし自分が余命を宣告されたらどういう気持ちになるのか。命の期限を明確にされた時、自分はその中でどう生きようとするのか。それは視聴者への問いになり、映画の中で生きるキャラクターたちを見て「あなたはどう感じますか?」というさらなる問いへと繋がっていく。

「その問いそのものが“余命もの”の一番大きなファクターかなという気はしています」