peco好きなことを仕事にできた! 続けられた大きな理由はryuchellからの言葉

AI要約

pecoさんのブログやSNSを通じたキャリアのスタートから始まり、原宿への憧れや仕事についての考えに至るまでを簡潔にまとめた。

ブログやSNSを通じて影響力を持ち、仕事のチャンスを掴んできたpecoさんのキャリアについて語られている。

記事では、好きなことを仕事にできる力や過程、そしてryuchellからの救いの言葉までが語られている。

peco好きなことを仕事にできた! 続けられた大きな理由はryuchellからの言葉

 pecoさんの日々の出来事について綴る連載「pecoの子育て&お仕事日記」。今回のテーマは「好き」を仕事に変える力について。自身がプロデュースするブランド「Tostalgic Clothing」を立ち上げ、軌道に乗せるまでには、「止めたい」と思ったことも。そのとき、ryuchellの救いの言葉があったという。

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 いまの仕事につながったキャリアのそもそものスタートは、ブログからだと思っています。中学3年生からブログを書き始めて、ブログとかInstagramなどのSNSがこの世になければ、いまの「私」は存在しないと100%言える。

 

 ブログで私のことを知っていただいたからこそ、原宿でショップスタッフにもなれたし、そのあと1年もたたないうちにテレビにも出させていただくようになりました。影響力のある雑誌の専属モデルでもないのに、フォロワーがめっちゃいる子と取り上げてもらえるようになったのは、全てブログとSNSがスタート。

 超ラッキーなタイミングだったんですよね。もう少し早かったら、ブログという文化は世の中に浸透してない。逆に、もう少し遅かったら、フォロワーがたくさんいるような人たちが増えて、ライバルが多くなっていて大変だったと思う。いま、SNSで何かを発信しようとしてる人たちにとっては戦国時代だから、そこで生き残っていくのはすごい大変だろうなと思っています。

 

 当時、東京・原宿への憧れがものすごく強かった。「原宿に行きたい」って、高校生になると月1~2回のペースで始発の新幹線に乗って大阪から東京に出て、一日中1人で原宿を散策して、お買い物をしていました。

 原宿に行く目的は、お買い物だけじゃなく、中高生の頃に読んでいた雑誌『Zipper』にスナップをしてもらうため。スナップ目的で無駄に原宿に通っていましたね(笑)。そのおかげで、憧れの雑誌に何度もスナップしていただいたり、以前所属していた事務所の方に声をかけていただき、18歳ですぐに上京しました。