元祖妖艶女優「洞口依子」がアラ還で再ブレークの予感 壮絶な闘病生活から奇跡の復活を遂げるまで

AI要約

洞口依子は、若さと妖艶さを兼ね備えた個性派女優であり、15歳でデビューした後は多くの刺激的な作品に出演し、独自のポジションを築いた。しかし、子宮頸がんの闘病を経て一時期活動から遠ざかることとなった。

闘病を経て復帰し、新たな表現活動をスタートさせた洞口は、女優業とは異なる形での活動も行い、バランスを模索する日々を送っていた。

沖縄での療養中に復帰のきっかけとなった映画に出演し、子宮を失った自分が妊婦を演じる経験を通じて、女優としての新たな活動意欲を取り戻した。

元祖妖艶女優「洞口依子」がアラ還で再ブレークの予感 壮絶な闘病生活から奇跡の復活を遂げるまで

 1980年に15歳でデビューして以来、みずみずしさと妖艶さが同居する稀有な魅力で人気を博した個性派女優の洞口依子(59)。子宮頸がんの闘病をきっかけに最前線からは遠ざかっていたが、先日、17年ぶりに「徹子の部屋」(テレビ朝日、5月29日放送)に出演。闘病生活から現在の活動に至るまでを語り尽くした。

 15歳で篠山紀信さんが撮影した「週刊朝日」の表紙グラビアで芸能界デビューを飾った洞口。高校を卒業すると、篠山さんの雑誌連載でヌードを披露。日活ロマンポルノが作品の納品を拒否したといういわくつきの映画「ドレミファ娘の血が騒ぐ」で銀幕デビューを飾る。

 同作を監督したのは、後年世界三大映画祭を中心に国際的な評価を次々に獲得することになる、未来の大監督・黒沢清だった。その後、洞口は次々と刺激的な作品に出演。「タンポポ」など伊丹十三監督作品にもたびたび登場し、「愛という名のもとに」や「ふぞろいの林檎たちIV」などのテレビドラマでも引っ張りだことなり、独自のポジションを築いていった。

「1997年にはNHKディレクターの男性と結婚、公私ともに順調だった洞口さんですが、2004年1月に子宮頸がんが発覚しました。同年2月に子宮や卵巣を摘出後、5月には病気のことを伏せたまま復帰を果たしましたが、心身ともに不調に陥り、酒浸りとなり、一時は自殺も考えたこともあったといいます」(女性週刊誌の記者)

■子宮を失ってから「妊婦」を演じる

 1カ月間の療養をへて闘病を公表。以来、芸能活動を続けつつ、ブログや新聞のコラム連載にもチャレンジするなど、女優とは違う形の表現活動をスタートさせた。しばらくの間は、バランスを崩した体と心と向き合う日々が続いた。

 復帰のきっかけとなったのは沖縄での療養生活で再会した、當間早志監督の「探偵事務所5” Another Story マクガフィン」(2006年)という映画。林海象監督・永瀬正敏主演で90年代にブームとなった「私立探偵 濱マイク」シリーズの制作チームが手がけた探偵ドラマシリーズだ。洞口にとっては、監督が当て書き(前もって演じる役者を想定して書くこと)してくれたという特別な作品だった。

「洞口さんは當間監督に準備稿を見せてもらったときのことを、子宮を失った自分が妊婦・出産するというストーリーに自身のうちに何か新しいもが生まれそうな息吹を感じたそうで、改めて女優業に本格復帰する意欲を感じたと自著『子宮会議』で書かれていました。実生活で子宮を失った洞口さんですが、『出産』『誕生』が大きなテーマとなる映画の中で妊婦を演じたことは、彼女のその後の活動の在り方にも大きな影響を与えたようです」(映画ライター)