久我美子さん死去で思い出される華族出身のイメージ振り払う好演光った映画2作品

AI要約

映画女優の久我美子(くが・よしこ)さんが誤えん性肺炎のために93歳で亡くなったことが明らかになりました。

久我美子さんは黒澤や小津作品など100本以上の映画に出演し、特に「女囚と共に」「女の園」などの名作で活躍しました。

久我美子さんの演技は華族出身というイメージとは異なる役柄で、激しい憤りを内包した表情豊かな芝居が光っていました。

久我美子さん死去で思い出される華族出身のイメージ振り払う好演光った映画2作品

 映画「また逢う日まで」(今井正監督)などに出演した女優の久我美子(くが・よしこ、本名・小野田美子=おのだ・はるこ)さんが9日に誤えん性肺炎のため死去していたことが14日、明らかになった。93歳だった。

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 黒澤、小津作品と邦画全盛期に目覚ましい活躍を見せ、約100本の映画に出演した久我さん。記者にとって印象深い2作がある。

 真っ先に思い出すのが「女囚と共に」(1956年、久松静児監督)。男の家に放火して服役し、何かと反抗して困らせる問題囚役だった。田中絹代、原節子が刑務所で働く側、久我さん、浪花千栄子、木暮実千代、淡路恵子と出演は大物女優ばかり。久我さんが原の顔につばを吐く強烈なシーンが出てくる。見たのは約20年前だが、狂気をはらんだ“名場面”が忘れられない。

 もうひとつが女子大の学園紛争を描いた「女の園」(54年、木下惠介監督)。手紙が届けば検閲される自由のない厳しい寮内で、久我さんは財閥の娘ながら率先して改革に動く役だった。

 共に、華族出身というイメージからかけ離れたような役での演技が光った。両作に共通する激しい憤りを内包した目の表情。美ぼうの中にのぞく素朴さも表情豊かな芝居につながっていた。自らの意志を貫き、映画界に入るのは終戦翌年46年。華族令廃止は47年。時代の動きも久我さんを味方した。(内野 小百美)

 ◆久我 美子(くが・よしこ、本名=小野田美子)。1931年1月21日生まれ、東京出身。第1期東宝ニューフェイスに三船敏郎さんらと共に合格し、47年に女優デビュー。54年、木下惠介監督の映画「女の園」などで毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。56年、木下惠介監督の映画「夕やけ雲」などでブルーリボン賞助演女優賞を受賞。