大西信満、故・若松孝二監督の映画でスタートした“役者としての第2章”。監督の別荘を破壊する苛烈な現場「あの緊張感は忘れられない」

AI要約

大西信満さんは、映画『赤目四十八瀧心中未遂』で注目を集めた新人俳優であり、後に若松孝二監督作品に出演し続ける存在となった。

若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』への出演を機に俳優としての第2章をスタートさせ、厳しい現場でもその耐性を発揮した。

『実録・あさま山荘への道程』の撮影では、苛烈な現場での結束や緊張感が演技にも影響し、完成した作品に満足感を抱いている。

大西信満、故・若松孝二監督の映画でスタートした“役者としての第2章”。監督の別荘を破壊する苛烈な現場「あの緊張感は忘れられない」

初主演映画『赤目四十八瀧心中未遂』(荒戸源次郎監督)で第58回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞などを受賞し、注目を集めた大西信満さん。

2008年に公開された映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』で初めて若松孝二監督作品に出演して以降、『キャタピラー』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』、『海燕ホテル・ブルー』、遺作となった『千年の愉楽』まで全5作に出演。晩年の若松監督作品に欠かせない俳優に。

映画『赤目四十八瀧心中未遂』の主演俳優でありながら、撮影後も公開準備に奔走していた大西さん。大森立嗣監督の『ゲルマニウムの夜』にも裏方として関わった後、俳優業に専念するために映画製作会社ではない芸能事務所に所属することにしたという。

「『赤目』から数年経って、制作チームの中で俳優をやり続けることには、ちょっと自分の中で葛藤みたいなのが出てきたんですよね。それで芸能事務所に入って俳優に専念することにして、一発目のオーディションが若松監督の『実録・あさま山荘への道程(みち)』で、やらせてもらうことになって役者としての第2章が始まったという感じです」

2008年に公開された映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』は、連合赤軍側の立場から、彼らの生き様を描こうとした作品。若松孝二監督が自宅を抵当に入れて製作費を捻出した低予算映画。宮城県にあった監督自身の別荘をあさま山荘のロケセットとして使用し、解体までおこなって撮影したことも話題に。

「若松監督とは(原田)芳雄さんのところで面識はあったので、オーディションに行ったときに、『君、芳雄さんのところの…』というのはありました。また若松監督は荒戸(源次郎)さんとの関係で、『赤目』の現場にも陣中見舞いに来てくれたりしていましたし、覚えていてくれて。だからといって、それで決まるほど甘くないと思っていたので、決まったときはすごくうれしかったです」

――撮影は大変だったでしょうね。

「もちろん大変な現場でしたけど、自分としては、芳雄さんだったり、荒戸さんだったりとか、ずっとそういういわゆる昭和の映画人の方々に囲まれてやってきたなかで、ある程度はその気質みたいなものは肌感覚でわかっていたし、その耐性が比較的あったというか(笑)。

とくに自分には当たりが強かったので、もちろん全然平気ではないんだけど、おそらく若松監督には、『こいつは大丈夫だろう』っていう、どこかそういう腹の括(くく)り方みたいなのができるやつと思われていた部分はあったでしょうね。

今振り返っても苛烈で厳しい現場でしたが、そういうのとリンクしない役じゃないというか。これが明るい好青年みたいな役だったら、ちょっとそれはきついなと思ったかもしれないけど、そうじゃない。

思想や行為の是非は別として、生命を賭して革命のために戦った人の役なので、どこかでそれは役にもプラスに作用するなと。それも含めて演出という部分だと思っていたので。

若松監督が私財を投げ打ってまでこれを撮ろうとしている執念や覚悟が全員に伝わっていたし、ものすごい緊張感のなか、当時を知らない役者たちをどうやって現実の彼らが抱いた激情に駆られるまでの極限状態に導くか。そんな感じで追い込まれて。

そんな状況のなか、井浦新さんをはじめ俳優部同士もどんどん結束が固まって、本当の意味での同志になっていくような一体感が自然と生まれてきて。本当にすごい経験をさせてもらいました。

荒戸さんもそうだし、芳雄さんに付き人として付いているときに出会った他のいろんな監督の現場でも、大きな意味での演出ってそういうことかなと僕はどこかで理解しているところがあって」

――そういうこともあってのスクリーンから伝わってくる緊迫感だったのでしょうね。大西さんは、あさま山荘の立てこもり犯のひとりでしたが、撮影はいかがでした?

「あれは季節をまたいでいるんですね。山岳ベースを集中的に撮って、3カ月ぐらい雪が降るのを待って、その後にあさま山荘に見立てた若松監督の別荘の撮影が入って。山岳ベースでもかなり過酷でしたが、そこからさらに緊迫するというか。若松監督の別荘を破壊するってこともあったし。

最初に自分が先頭で、ドアを銃床で壊して中に入るんですけど、画に自分は映ってないから、ちゃんと破壊させるのが重要で。そういう画だからというので思いっきりガチャンってやったら、若松監督が『お前、雑にやりやがって』ってすごい怒って(笑)。山荘パートは本当に厳しかったです」

――ご自分の別荘をあさま山荘に見立てて壊すなんてすごいなと思いました。

「壊してしまえばやり直しもできないし、とくに放水のシーンは段取りとかもできないわけで。地元の消防署から放水車が来てやったのですが、そんな狙ったところに水が行くわけでもないし。

爆竹とかの火薬類も、もちろん免許を持った安全管理者が現場にいたけど、正確な軌道までは読めないし、どこに何が飛んでくるかわからない。

何が割れるかわからないし、何が落ちてくるかわからないんですよ。『とにかく集中しろ!』って言われて、現場の全員が神経を研ぎ澄まして。あのヒリヒリするような緊張感は忘れられません。

実際には大きい鉄球であさま山荘が破壊される映像が有名ですけど、予算的にそんな撮影はできない。外の画を撮れないわけですよ。現場ではシャベルカーみたいな重機でやったのですが、中にいるといきなり『ドン』って衝撃がきて、どこにどう破片が飛んでくるかわからない。

そこで段取りをするにも限界があるし、予測不能な状況のなかでいかにみんなを集中させるかですよね。

誰よりも安全管理に心を砕いていたのは若松監督だから、『ボケッとしていたらケガするぞ!とにかく集中しろ!』って言われて。役者はみんなもう目がギラギラして、過呼吸を起こすんじゃないかというような状態で撮影に臨んでいた感じです」

――出来上がった作品ご覧になっていかがでした?

「自分のことはさておいて、すごい映画だなって思いました。初見では必ず自分の粗(あら)ばかり目が行ってしまいがちですが、それを超えるぐらい作品の熱量があって。本当にすごい映画が撮れたなってうれしかったですよね、この作品に関しては」