日本刀や船、さらには中世時代の子どもに「〇〇丸」といった童名がつけられてきた理由

AI要約

日本の伝統的な子どもへの配慮について考察された記事。子どもは七歳までは「聖なる存在」とされ、童名が付けられることがあった。

現代の学校教育では子どもたちがテストで格付けされる傾向があるが、子どもを枠にはめずに成熟を支援することが重要と述べられている。

中世以来、子どもは異界とつながる存在とみなされ、七歳を過ぎるとそのつながりが切れる。童名を持つ子どもたちは異界とこの世を架橋する存在として捉えられていた。

日本刀や船、さらには中世時代の子どもに「〇〇丸」といった童名がつけられてきた理由

日本刀や、現在も船に多い「〇〇丸」という名前。中世日本では子どもにもこうした童名がつけられてきたが、これらは「この世ならざるもの」として扱われてきた名残りだという。

書籍『だからあれほど言ったのに』より一部を抜粋・再構成し、現代の日本では失われてしまった子どもへの配慮を、人類学的な視点から考察する。

今の学校は子どもたちにテストを課して、その成績で「格付け」する評価機関のようなところになっている。しかし、私は子どもたちを査定して、評価して、格付けするというのは、学校教育の目的ではないと思う。学校は子どもたちの成熟を支援する場だと思う。

子どもというのは「なんだかよくわからないもの」なのである。それでいいのだ。そこからはじめるべきなのだ。子どもたちをまず枠にはめて、同じ課題を与えて、その成果で格付けするというのは、子どもに対するアプローチとして間違っている。

昔の日本では子どもたちは七歳までは「聖なるもの」として扱うという決まりがあった。渡辺京二の『逝きし世の面影』には、幕末に日本を訪れた外国人たちが、日本で子どもたちがとても大切にされているのを見て驚いたという記述がある。

だが、これは日本人が子どもをとても可愛がっていたというのとはちょっと違うと思うのである。可愛がっているのではなく、「まだこの世の規則を適用してはいけない、別枠の存在」として敬していたということではないかと思う。

中世以来、伝統的にはそうなのである。子どもは七歳までは「異界」とつながる「聖なる存在」として遇された。だが、その年齢を過ぎると、そのつながりが切れてしまう。アドレッセンスの終わりというのは「異界とのつながり」が切れてしまう年齢に達したということである。そうやって人間は「聖なるもの」から「俗なるもの」になる。

だから、「この世ならざるもの」とこの世を架橋するものには童名を付けるという習慣がある。「酒呑童子」とか「茨城童子」とか「八瀬童子」とか。彼らはこの世の秩序には従わない存在である。