じつは、硫黄島に「核」が持ち込まれていた…日本人が知らない「戦後史の謎」

AI要約

硫黄島での謎の核配備歴史についての調査が日本兵1万人の行方の謎につながる

米国の軍部が核を配備したリストの中に「C」「I」があり、その正体が父島と硫黄島であることが判明

硫黄島中央空軍基地に核兵器が隠されていた理由についての謎が残る

じつは、硫黄島に「核」が持ち込まれていた…日本人が知らない「戦後史の謎」

 なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。

 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

 硫黄島は現在、紛れもなく日本の領土だ。戦後、米軍の占領が続いた末、1968年6月26日に施政権が日本に返還された。

 海外で遺骨収集を行う場合、当事国の許可が不可欠となる。多数の自国民が犠牲になった国では対日感情も絡み、最小限にしか実施できない地域もある。

 そんな状況と硫黄島は違う。許可を得なくてはならない相手国があるわけではないはずだ。厚労省によると、本土復帰後の収集団の派遣回数は1~2回の年がほとんどだった。

 なぜそれほどまで限られたのか。さらに言えば、1968年6月まで23年間続いた米軍占領時代、派遣がたった2回だったのはなぜなのか。収集団を阻む壁となったのはいったい何だったのだろう。

 それこそが、戦没者2万人のうち1万人の遺骨が見つからない謎から始まった僕の新たな探究のテーマとなった。

 その答えとして、戦後史の闇から浮かび上がったのが、硫黄島の核配備の歴史だった。この知られざる歴史は近年になって解明され、発信された。宇都宮軍縮研究室が発行した『軍縮問題資料』収載の「それらはどこにあったのか、日本はどれだけ知っていたか?」(2000年)などによると、発端は、米国で1990年代に機密解除された国防総省の公文書だった。

 「核兵器の保管と配備の歴史」と題されたこの文書には、米国の軍部が1950年代から1970年代にかけて、核を配備した国・地域のリストが添付されていた。リストの中には、黒塗りにされた国・地域があった。これらはいったいどこなのか。

 そんなミステリーに挑んだのが、米核軍縮団体である天然資源保護協会のロバート・S・ノリス氏らだ。彼らは1999年12月、黒塗りされた国・地域17ヵ所のうち、地名がアルファベット順であることなどをヒントにして、16ヵ所の地名を特定したと発表した。特定できなかった残る1ヵ所は「C」から始まる国・地域名だった。

 米国政府は、核の配備について長年、一貫して「NCND」政策をとってきた。NCNDは「Neither Confirm Nor Deny(肯定も否定もしない)」を意味する。つまり、世界のどこに核を配備しているのかを、一切明らかにしてこなかった。

 当然、米国政府はNCND政策に基づけば、ノリス氏らの発表を無視するはずだった。しかし実際は違った。ノリス氏らが「I」から始まる国・地域名はアイスランドであると発表したのに対して、ビル・クリントン政権(当時)は誤りであると否定したのだ。こうして未解明の国・地域は「C」だけでなく「I」も加わることになった。

 ちなみにリストによると、「C」という国・地域に核兵器が配備された期間は1956年2月から1965年12月だった。「I」は1956年9月から1959年12月ごろにかけて核弾頭が持ち込まれていた。1956年2月から1966年6月までは核兵器の関連部品も貯蔵していた。

 「C」と「I」の解明を目指すノリス氏らにとって、大きな転機となったのは、日本から届いた1通のメールだった。

 小笠原諸島でフィールド・ワークを重ねる社会言語学者ダニエル・ロング氏が、「C」は父島の可能性がある、とメールで伝えたのだ。ロング氏は、父島の帰島民から、米国統治時代に核兵器があったのではないかという証言を得ていた。

 父島は硫黄島と異なり、終戦翌年の1946年に、ルーツが欧米系の住民百数十人に限って帰島が許可され、米国統治下の島内で暮らしていた。ノリス氏らはこうしたロング氏からの情報提供を元に調査を重ね、その結果「C」が父島であり、「I」は硫黄島と断定するに至った。

 断定の根拠とした一つは、米極東軍が1956年11月に作成した機密文書「極東軍管理運用規定1号」だ。この機密文書には、緊急時などに核兵器を搬入する地域が記録されていた。その一つに「Central Airbase, Iwo Jima」と記されていたのだ。

 硫黄島中央空軍基地──。1968年の硫黄島返還直前まで、そこに核弾頭や核兵器の関連部品が隠されていた。それはいったいなぜなのか。