「選挙に出ませんか?」「当選すれば女性はいくらでも」…大物俳優に突如舞い込んだ「国政選挙の出馬要請」!本人が明かす《タレント議員の作り方》

AI要約

自宅のチャイムが鳴り、現職知事の公設秘書を名乗る男性が訪ねてきた。

男性はA氏に選挙への立候補を持ちかけ、タレント議員としての可能性を示唆する。

タレント議員誕生の経緯や現在のタレント議員についても触れられている。

「選挙に出ませんか?」「当選すれば女性はいくらでも」…大物俳優に突如舞い込んだ「国政選挙の出馬要請」!本人が明かす《タレント議員の作り方》

自宅のチャイムが鳴ったのは、夕食に手をつけようとした時だった。

確か、今日は来客の予定はなかったはず。怪しみながらもインターフォンに出ると、突然の訪問を詫びる男性の声が聞こえる。男は当時、関東の現職知事の名を出しながら、自分はその公設秘書だと名乗った。

インターフォンの受話器を置き、A氏が玄関のドアを開けると、立っていたのはスーツ姿の初老の男。挨拶もほどほどに白髪交じりの男から差し出された名刺には、確かに「公設秘書」との肩書が記されている。

受け取った名刺をいぶかしげに眺めるA氏に対して、男はやけに丁寧な口調で「少しお話のほど、よろしいでしょうか」と告げる。暗がりのせいで男の表情は読めない。

突然のことで固まってしまっているA氏に、秘書は「ここではなんですから…」と言葉を続ける。ちょうど独り身になったばかりで、人恋しさもあった。一人の食事も味気ない。誘惑に負け、男性を自宅へと招き入れる。居間に通された男は部屋に入るや否やこう切り出した。

「Aさん、選挙に出ませんか」

日本で初めてタレント議員が生まれたのは、昭和21年(1946年)4月のこと。時の演歌歌手・石田一松(享年53)が戦後初となる衆議院議員選挙に立候補し、見事当選。晴れて芸能出身者として国会議員の第一号となった。

同選挙には後に首相を務める鳩山一郎(享年76)、60年に日比谷公会堂での演説中に右翼少年・山口二矢によって暗殺されることとなる浅沼稲次郎(享年61)も出馬し、石田氏同様に当選を果たしている。

石田氏は選挙中、自身の持ち歌をもじって「地盤(組織力)と鞄(資金力)は有りませんけど、看板(知名度)だけなら日本中、のんきだね~」と歌ってアピールしていたという。

その歌詞通り、現在も政界では途切れることなく、タレント議員たちが誕生し続けている。山本太郎議員(49)、三原じゅん子議員(59)、今井絵理子議員(40)、生稲晃子議員(56)…。彼ら彼女らも当選直後はタレント議員と呼ばれた面々だ。最近では歌手の中条きよし議員(78)が日本維新の会から立候補し、22年の参院選で議席を獲得したのは記憶に新しい。

遡ること約10年前、当時俳優のA氏(50)もタレント議員としての門前に立った一人だった。冒頭の情景描写は、そんなA氏を政界に誘う第一歩とも呼べる場面だ。

いかにしてタレント議員は誕生するのか。A氏の一例ではベールに隠された交渉劇が垣間見える。本人が続ける。