平成事件史:戦後最大の総会屋事件(8)第一勧銀元会長を取り調べていた特捜検事はなぜ東京拘置所に向かったのか 後輩に掛けた最後の言葉「中村くん、すまない」

AI要約

昭和から平成期にかけて、日本を代表する証券会社とトップバンクが総会屋のビジネスを支えていた時代があった。

総会屋に対する利益供与事件が相次いで摘発され、関係者の自殺が発生した。

宮崎元会長の自殺を巡る捜査の舞台裏や第一勧銀と総会屋の関係について詳細が明かされた。

平成事件史:戦後最大の総会屋事件(8)第一勧銀元会長を取り調べていた特捜検事はなぜ東京拘置所に向かったのか 後輩に掛けた最後の言葉「中村くん、すまない」

昭和から平成期にかけて、反社会勢力である「総会屋」のビジネスを、日本を代表する証券会社が「一任勘定取引」で支えていた時代があった。さらにその資金は驚くべきことに日本を代表するトップバンクの「第一勧業銀行」が融資していたのであった。

この、総会屋に対する利益供与事件は、4大証券、第一勧銀など日本を代表する企業が相次いで摘発される中で、関係者の自殺が相次いだことも事実である。

キーマンの「自殺」は、捜査が行き詰まる一方で、捜査手法への批判を招くことにもつながりかねない。被疑者や参考人を追い込まないよう配慮していても、想定外のことは起きる。

今だから明かせる関係者の証言から、宮崎元会長の自殺をめぐる捜査の舞台裏の一端を描く。

■「大物総会屋」と「第一勧銀」

「総会屋の元出版社社長の『呪縛』が解けず、歴史のふちにわだかまった「おり」から決別できなかった」

1997年5月23日、東京・内幸町の第一勧銀本店22階、辞任を表明した頭取はこう語った。元出版社社長というのは前述の通り、大物総会屋、木島力也のことである。

第一勧銀は、すでに小池隆一側への「117億円」の不正融資が明らかになり、本店などが特捜部の家宅捜索を受けていた。会見には当時会長の奥田正司もいた。

頭取の口から出た「呪縛」という言葉は、第一勧銀と総会屋の関係を象徴する言葉として、当日夕方のニュース番組のトップ項目の「見出し」に踊った。「呪縛」は1997年を象徴するその年の「流行語」にもなった。

第一勧銀から小池隆一への巨額の不正融資。この事情を知るキーマンは相談役で元会長の宮崎邦次と、前会長の奥田正司だった。総会屋との関係を断ち切れなかった「呪縛」をひもとく捜査のカギはこの2人が握っていた。

そもそも小池隆一が「第一勧銀」に深く食い込むことになった起点は、1988年の株主総会に遡る。この株主総会で「頭取」に就任したのが宮崎だった。宮崎が頭取に就任した背景には、小池が師事していた財界のフィクサーで大物総会屋「木島力也」の推薦があったとも言われている。

当時、麹町支店の不祥事やスキャンダルを抱え、株主総会が紛糾しないかと不安に感じていた「第一勧銀」は、小池に円滑な議事進行への協力をこう依頼した。