【今日は何の日:6月27日】1874年、日本で初めて演説会が開催された。"speech" にもともとは仏教用語の "演説" の訳語を充てたのはあの大学の創立者。お財布の中に1枚くらいは入ってる?

AI要約

1994年、オウム真理教の幹部が猛毒のサリンをまいた事件やその影響について。

1850年にラフカディオ・ハーンがギリシャで誕生し、日本への関心を深めるまでの経歴。

1874年に福沢諭吉が慶應義塾で「三田演説会」を立ち上げ、演説の重要性が広まるきっかけとなった出来事。

1994(平成6)年 長野県松本市北深志の住宅街で、オウム真理教の幹部らが猛毒のサリンをまき、8人を死亡させ、144人に重軽症を負わせた。教団関係の訴訟を担当していた長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙ったとされる。当初はオウムの犯行だと分からず、妻をサリンの後遺症で亡くし、自身もサリンで被害を被った会社員の河野義行さん(当時44)を警察が誤認捜査。マスコミが十分な裏付け取材もせず警察の見立てに沿って報道、人権侵害が社会問題となった。95年の地下鉄サリン事件発生で、オウムの犯行であることが明らかになった。

1850年(旧暦:嘉永3年5月18日) 『怪談』などの著書で知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がギリシャで誕生。父は英国籍のアイルランド人、母はギリシャ人。19歳で単身米国に渡り、新聞記者として活躍した。ニューオーリンズ万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で日本への関心を深め、90(明治33)年、39歳で来日。松江で小泉セツと結婚し、日本国籍を取得した。1904年心臓発作のため54歳で死去。

1874(明治7)年 福沢諭吉が幕末に創設した慶応義塾(現慶応大)で演説、討論の研究錬磨の場として「三田演説会」が発足した。当時は、「演説」という概念がなかった。多くの聴衆の前で自分の意見を述べる「スピーチ」に、仏教用語の「演説」を充てた。翌75年には専用施設「三田演説館」が完成した。

1882(明治15)年 明治政府が中央銀行を設立を決め、その組織体制や業務内容などを定めた「日本銀行条例」を公布した。同年10月10日、日本銀行が業務を開始。中央銀行設立のきっかけは77(明治10)年2月に勃発した西南戦争。戦費調達のため大量の不換紙幣が発行され、激しいインフレーションが発生。その鎮静化が課題となった。松方正義大蔵卿が不換紙幣を整理するため、正貨兌換の銀行券を発行する中銀を創立し、通貨価値の安定、銀行制度の整備、近代的信用制度の確立を目指すことを建議した。