告げられた余命は「8月まで」、年末の第九合唱を夢見て「死ぬわけには」…音楽が笑顔を広げると願い

AI要約

竿下和美さんが末期がんを患いながらも、3世代が参加するベートーベンの第九コンサートを企画。コンサートは、笑顔あふれる年末の風物詩として開催される予定。

竿下さんは音楽家として活動し、自身の余命宣告を受けたことで、夢だった第九コンサートを実現する決意をする。抗がん剤治療をしながら、コンサートの開催準備に取り組む。

音楽が人々の心に余裕をもたらし、笑顔を生むことを信じる竿下さん。彼女の願いは、音楽を通じてまちを明るくすることにある。

 子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで3世代がベートーベンの交響曲第9番(第九)を歌い、年の瀬の街に笑顔が広がっていく――。12月末に京都府立けいはんなホール(京都府精華町)で開かれる「『全』市民第九コンサート」を企画したのは、末期がんを患う京田辺市のピアニスト、竿下和美さん(49)だ。夢見てきたコンサートが、半年後に実現しようとしている。(相間美菜子)

 1日、京田辺市の聖愛幼稚園。12月末のコンサートの練習に集まった約70人の歌声が、美しい一つの旋律となって響いた。楽譜を手にドイツ語で第九を歌う子どもやお年寄りらを、竿下さんはピアノを弾きながらまぶしそうに見つめていた。

 竿下さんは、コンサートを主催するNPO法人「京田辺音楽家協会」の理事長だ。2020年にNPO法人を設立し、「もっと多くの人に、音楽の喜びを身近に感じてもらいたい」と、市民ら向けのコンサートやイベントを開いてきた。

 活動も軌道に乗り、日々充実していた昨年2月末、肺腺がんであることが判明した。告げられた余命は、今年8月まで。

 宣告された時、竿下さんは「悲壮感はなかった」と言う。残された期間をどう生きようかと考えた時に思い立ったのが、長年夢だった3世代による第九コンサートの開催だった。

 竿下さんは、余命宣告を超える今年12月に開くことを決めた。第九コンサートは年末の風物詩であり、そして、余命宣告の期間は、<絶対ではない>。「コンサートまで、死ぬわけにはいかない」と、つらい抗がん剤治療に臨むことにした。

 竿下さんは5歳でピアノを始め、「自分で音を鳴らせるおもちゃのよう」と、とりこになった。京都市立堀川高校音楽科分校(当時)や市立芸術大などで学び、在学中からプロのピアニストとして各地で演奏を重ねてきた。

 音楽とともに歩んだ人生だった。自身も何度も音楽に救われ、NPO法人を設立してからも、音楽がたくさんの人を笑顔にすることを実感してきた。「音楽は聞く人の心に少し余裕を持たせてくれる。心の余裕があれば、つらい人に寄り添うことができ、笑顔があふれるまちにつながる」。音楽によってまちを明るくすることが、いつしか竿下さんの願いになっていった。