1人で観察対象者と向き合う不安…保護司の多くは自宅で面接「身の安全を重く受け止めてほしい」

AI要約

北海道羽幌町で保護司が殺害される事件が起きた。殺害された男性は喫茶店を営んでおり、生活態度を注意した男に包丁で刺されて亡くなった。

保護司制度は1888年に始まり、社会復帰を支援するために無給で活動する。しかし、保護司が被害を受ける事件も増えており、補償制度が必要とされている。

保護観察の対象者は年々増加しており、保護司に対する暴行や物的被害に対する補償金支払いのケースもある。一方で、対象者が約束事を守らない場合には仮釈放や執行猶予が取り消される可能性がある。

 札幌から約150キロ北にある北海道羽幌町は日本海沿いの小さなまちだ。ここで、喫茶店を営んでいた男性保護司が、以前に担当していた男に殺害される事件が起きた。大津市の保護司殺害事件が起きる60年前のことだ。現場となった2階建て建物は今も当時のまま残る。

 羽幌町の保護司山崎猛さん(当時49歳)は1964年2月、来店した男に生活態度を注意したところ逆上され、包丁で刺されて亡くなった。

 面倒見が良く誰からも慕われる性格だった山崎さん。店を居酒屋にして約40年切り盛りする次女の智子さん(71)は、大津の事件について「保護司として地域を支えていたのは、父も今回の被害者も同じ。こんな事件は起きてほしくなかった」と語った。

 保護司は、1888年(明治21年)に静岡県の実業家有志が出所者らに宿泊所を提供するなど支援したことが起源だ。

 1950年に保護司法が制定され、社会奉仕の精神を使命として無給で担うことを規定。前任者の推薦を受けるなどした地元の篤志家らが、仮釈放や保護観察付き執行猶予の対象者と面接し、社会復帰を支援してきた。

 70年以上にわたり続いてきた制度で、過去に保護司が被害を受けたのは、羽幌町の殺人事件のほか、2010年に茨城県桜川市で担当保護司の自宅に放火したとして保護観察中の少年が逮捕された事件などがある。

 放火事件を受け、人的被害に加え物的被害への補償制度ができた12年以降、毎年約4万4000人~約2万3000人が保護観察の対象者となった。このうち、対象者から暴行されたり物を壊されたりして保護司に補償金が支払われたケースは10件という。

 対象者が課される約束事を守らなければ仮釈放や執行猶予が取り消される場合もあり、保護司の指導に応じるための心理的な抑制になっている可能性がある。

 だが、対象者に向き合うことに不安を訴える保護司は少なくない。総務省が19年に全国の保護司4700人を対象に実施したアンケート調査では、26%が1人での対象者の面接に不安や負担を感じていた。