「自分はこんなに優秀なのに…」日本社会で根強い「平等幻想」が生み出す「大きな不満」

AI要約

根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない…。『職場を腐らせる人たち』は、職場を腐らせる人の心理や社会的要因を解説。

平等幻想が根付いた日本社会で、不満や羨望が蓄積しやすい。羨望の対象を妬み、承認欲求を満たせずに他人を責める悪循環に陥りやすい。

職場を腐らせる人が一人でもいると、その影響は全体に及び、職場全体が腐敗していく。人間関係の悩みが最も多い職場では、腐敗を防ぐための対策が求められる。

「自分はこんなに優秀なのに…」日本社会で根強い「平等幻想」が生み出す「大きな不満」

 根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。発売たちまち5刷が決まった話題書『職場を腐らせる人たち』では、ベストセラー著者が豊富な臨床例から明かす。

 職場を腐らせる人を変えるのはきわめて難しい。しかも、自分が悪いとは絶対に思わず、自己正当化に終始する思考回路に拍車をかけるような構造的要因が現在の日本社会にはいくつもある。その最たるものとして、次の三つを挙げておきたい。

 (1)平等幻想

(2)渦巻く不満と怒り

(3)「自己愛過剰社会」

 まず、戦後の民主的な社会で驚異的な経済成長を成し遂げ、一時的にせよ「一億総中流社会」を実現した日本では、平等幻想が浸透したが、その後格差が拡大するにつれて、この幻想を持ち続けるのはきわめて困難になった。もはや風前の灯といっても過言ではない。

 皮肉なことに、戦後の民主的な教育によって「みんな平等」とわれわれが教え込まれ、平等幻想が浸透したからこそ、ちょっとした差に敏感になったという側面も否定できない。

 この点を指摘したのは、19世紀のフランスの思想家、アレクシ・ド・トクヴィルである。トクヴィルは1805年生まれだが、彼の両親は貴族だったので、フランス革命が1789年に勃発したときギロチンで処刑されそうになったという。そういう家庭環境もあって、20代でアメリカに渡り、精力的に現地の社会を見て回って書き上げたのが『アメリカのデモクラシー』だ。

 この著書で、トクヴィルは次のように述べている。

 「私が考えたところでは、平等が人々に約束する幸福を予告しようとする人はたくさんいるであろうが、それがいかなる危険に人々をさらすか、これをあえて早くから指摘しようとするものはほとんどいないであろう。私が目を向けたのはだから主としてそうした危険であり、これをはっきりと見出したとき、臆して口を噤むことはしなかった」

 さすがに先見の明があったと思う。たしかに、「みんな平等」という考え方が浸透するほど、「同じ人間なのに、なぜこんなに違うのか」という思いにさいなまれ、歯ぎしりせずにはいられなくなる。また、「あいつはあんなに恵まれているのに、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか」と怒りを覚えることもあるはずだ。それをトクヴィルは200年も前に見抜いていた。

 歯ぎしりも、怒りも、「みんな平等」という考え方が浸透し、他人と自分の間に残る違いにより敏感になったことによって一層激しくなった。江戸時代のように歴然たる身分の差があった時代なら、違いがあってもそれほど気にならなかった。いや、より正確には、あきらめるしかなく、気にしていられなかったというべきだろう。

 ところが、平等化が進むにつれて、ちょっとした違いに敏感になる。もともと別の世界の「違う人間」だと思えば、違いがあっても腹が立たなかったが、現代のわれわれは「同じ人間」だということを刷り込まれているので、あきらめきれない。だから、少しでも違いがあると許せない。

 とくに、日本は「一億総中流社会」をかつて築き上げたことがあり、その頃に浸透した「みんな平等」という意識がいまだに根強く残っている。もちろん、それ自体は悪いことではない。だが、最近は必ずしも「みんな平等」とはいえない現実を思い知らされる機会が増えているにもかかわらず、平等幻想だけが漂っているので、「平等なはずなのに、なぜこんなに違うのか」と不満を抱かずにはいられない。

 こうした不満は、羨望を生み出しやすい。だから、羨望で胸がヒリヒリするような思いをしながら、羨望の対象が転げ落ちるのを今か今かと待ち構えている。ところが、なかなかそうならないので、待ちきれなくなる。そこで、しびれを切らして、羨望の対象を少しでも不幸にするために不和の種をまいたり根も葉もない噂を流したりするのだ。

 とりわけ、自身を過大評価していて、「自分はこんなに優秀なのに、能力を正当に評価してもらえない」「自分はこんなに頑張っているのに、努力をちゃんと認めてもらえない」などと承認欲求をこじらせている人ほど、「平等なはずなのに、なぜこんなに違うのか」と不満を募らせやすい。羨望の対象が周囲から認められ、高く評価されているのは、元々の能力に加えて本人の努力のたまものだったとしても、そういうことは目に入らないのか、不公平だと不平を漏らす。

 このような不満を抱えていると、「努力しても報われない」「頑張ってもはい上がれない」などと思い込み、地道な努力をコツコツと積み重ねようとはしない。努力もせず、不平ばかり漏らしていたら、承認欲求が満たされるわけがない。だから、ますます腐ってしまう。そうなると、陰で他人の足を引っ張るようなふるまいを繰り返すわけで、こうした悪循環に陥ったら、なかなか抜け出せない。

 つづく「どの会社にもいる「他人を見下し、自己保身に走る」職場を腐らせる人たちの正体」では、「最も多い悩みは職場の人間関係に関するもので、だいたい職場を腐らせる人がらみ」「職場を腐らせる人が一人でもいると、腐ったミカンと同様に職場全体に腐敗が広がっていく」という著者が問題をシャープに語る。