ヱビスビール、134年のコク 「恵比寿」は商品名が先 ヱビスビール(上)

AI要約

1890年に誕生した恵比寿ビールは日本一のビールメーカーを目指し、本格的なビール作りに取り組んだ。1894年には恵比寿黒ビールも発売された。

1895年に恵比寿地区に工場が移転し、恵比寿停車場が開設された。これが後に地名の恵比寿に繋がり、ビールと地名が結びつく独特な関係性が生まれた。

JR恵比寿駅は現在でもヱビスビールのゆかりが深く、テレビCMのメロディーも恵比寿駅の発車メロディーに使用されている。

ヱビスビール、134年のコク 「恵比寿」は商品名が先 ヱビスビール(上)

我が国のプレミアムビールの代名詞的といえる「ヱビスビール」の商品名は、東京・恵比寿の地名にちなんで付けられたわけではない。その逆でヱビスビールから街の名前が生まれたのだ。そんな縁(えにし)で結ばれたビールも街も日本ではほかにない。その恵比寿の地に醸造所が2024年春、戻ってきた。ヱビスビールと恵比寿の街が紡いできた134年間にわたる物語をたどっていこう。

明治維新からまだ30年もたっていない1890年に「恵比寿ビール」は誕生した。「日本一のビールメーカーになる」と掲げ、当初から本格的なビール作りに取り組んだ。ヱビスブランドグループの沖井尊子氏(サッポロビール マーケティング本部 ビール&RTD事業部)によると、当時の資料から「本場のドイツから醸造設備を持ち込み、醸造技師も招いた」と本気の取り組みであったことが伝わってくるという。

創業の志は今も受け継がれ、ブランドの「背骨」になっている。わずか4年後の1894年に「恵比寿黒ビール」を発売したのもドイツ由来の本格ビール主義を示す。

恵比寿の地とつながるのは翌1895年からだ。日清戦争に伴う好景気を追い風にビール人気が高まり、工場が手狭になった。新工場の適地に選ばれたのが現在の「恵比寿ガーデンプレイス」を含む一帯。「製造したビールを保管するスペースを地下に確保しやすい高台が望ましかった」(沖井氏)。用水面でも理想的だったようだ。

しかし、工場ができたからといって、すぐに地名の恵比寿が誕生したわけではない。決め手になったのは、鉄道駅の開業だ。1889年に醸造所が建てられ、出来上がったビールを出荷するために貨物駅が作られた。ブランドの名前をそのままもらい受ける格好で「恵比寿停車場」と名付けられたこの貨物駅がエリアの町名に転じた。「ビールの商品名が地域の名前になるという唯一無二の関係性」(沖井氏)といえる。

当初の貨物専用駅は山手線の開業後、位置を変えて旅客駅となり、1909年から山手線の駅に組み込まれた。恵比寿が初めて地名に使われたのは1928年のことで、1906年に恵比寿駅が乗客駅になってから20年以上たってから。だから、順番でいえば「ビール→貨物駅→町名」となる。以後、駅と街は二人三脚のように発展を遂げていく。

JR恵比寿駅は今でもヱビスビールとゆかりが深い。テレビCMで流れるメロディーは名作映画『第三の男』で使われた別名『ハリー・ライムのテーマ』。2005年から恵比寿駅の発車メロディーに使われている。駅東口構内には、駅ナカのスタンドバー「TAPS BY YEBISU」が2022年にオープンした。

「YEBISU」という珍しいスペルにも歴史が薫る。江戸時代末期から明治時代中期にかけて外国人向けに「エ」を「YE」とつづった表記に由来するという。ヱビスビールは発売当初からこのローマ字表記を用いていて、旧かなの「ヱ」と共にブランドヒストリーの深さを感じさせる。