【世界に挑む日本人ライダーの足跡】小椋藍選手の言葉の真意。「バイクに乗るのは好き。でも、レースは……」

AI要約

小椋藍選手がバイクと出会った3歳の頃、最初は泣いて乗りたくなかったが、その後再びバイクに乗り始め、ATCを経てMoto3クラスにフル参戦を果たす。

父や姉の影響でバイクに親しんでいたが、初めはバイクより他の遊びが好きでバイクを乗りたくなかった。

2015年のATCチャンピオン佐々木歩夢やソムキアット・チャントラと世界選手権で競い合う小椋藍選手は、バイクとの関係を今も進化させ続けている。

【世界に挑む日本人ライダーの足跡】小椋藍選手の言葉の真意。「バイクに乗るのは好き。でも、レースは……」

 どんなレーシングライダーにも、「バイクと初めて出会った瞬間」はあるものです。もちろんそれは、Moto2クラスで活躍する小椋藍選手(MTヘルメット - MSI)も例外ではありません。

 小椋選手がバイクと出会ったのは、3歳のときでした。お父さんの影響で、お姉さん(オートレーサーとして活躍中の小椋華恋選手)がすでにバイクに乗っている環境です。自分の意思ではなかったけれど、小椋選手がポケバイに乗り始めたのは、自然な流れでした。

──初めてポケバイに乗ったときのことを覚えていますか?

「自分では覚えてないですけど、アクセルをちょっと開けてブーッって進んで、止まったらしいんですよ。親が“どうしたのかな?”と思ってヘルメットのシールドを上げたら、泣いていたみたいです。たぶん、それがいちばん最初じゃないかな」

「どうして泣いたのかは覚えてないですけど、怖いから泣いたんじゃないかな。それ以外に泣く理由がないから……」

「ずっと、バイクに乗っているのはちょっと嫌でしたよ。毎週末やっているものだから続けていただけで、そんなに好きではなかったです」

 小椋選手は当初、バイクに乗ることが好きではなかった……。その回答には驚きますが、よく考えれば、まだいろいろと遊びたい少年時代のことです。それも当然かもしれません。小椋選手は5歳くらいのときに、一度、バイクに乗らなくなった時期もあるそうです。その理由は、バイクより楽しいことに心を惹かれたからでした。

「あまり覚えてないんですけどね。サーキットに行って、オートバイに乗るよりも、サーキットで誰かと遊んだりサッカーをしたり、その方が僕は楽しかったんです。そういう記憶はあるんです」

「思い出せるきっかけはない」ということですが、その後、小椋選手は再びバイクに乗り始めます。筑波やもてぎのロードレース選手権に参戦し、2015年からはアジア・タレントカップ(ATC)に参戦しました。

 ちなみに、2015年のATCチャンピオンは佐々木歩夢選手(現Moto2ライダー)で、2016年に小椋選手とATCチャンピオンを争ったのが、ソムキアット・チャントラ選手(現Moto2ライダー。2023年までのチームメイト)です。時を経て、今、小椋選手は彼らと世界選手権でしのぎを削っています。

 ATCに2シーズン参戦したのち、小椋選手は、レッドブルMotoGPルーキーズカップ、FIM CEVレプソルMoto3ジュニア世界選手権(現在のFIMジュニアGP世界選手権)というMotoGPに続く選手権を戦いました。そして、2019年、ロードレース世界選手権Moto3クラスにフル参戦を開始したのです。