“植田ショック”は歴代2位の大暴落…では“歴代1位”の超大暴落時、市場はどんな様子だったか

AI要約

1987年の10月20日に記録された-3836円の超大暴落を振り返り、アメリカの「ブラックマンデー」に端を発する株価崩落の影響を日本市場で感じた様子が描かれている。

当時の東京証券取引所では、株価表示ボードが全て▼印の株価下落表示に覆われ、60兆円にも及ぶパニック売りが発生したという状況が語られている。

現在の株価暴落が円高やアメリカ経済の不安によるものであることが指摘されつつ、歴史的な大暴落と比較しながら、投資家たちの苦悩や市場の混乱を伝えている。

“植田ショック”は歴代2位の大暴落…では“歴代1位”の超大暴落時、市場はどんな様子だったか

 一瞬、自分の目を疑った人もいるだろう。8月2日の日経平均は、前日比-2216円の大暴落。とはいえ、これは歴代2番目の下落幅。では“歴代1位の下落”のとき、日本市場はどんな様子だったのだろうか――。

 ***

 今年は新NISAが始まった年とあって、証券口座を開き、新たに市場に“参戦”した初心者投資家も多いと言うが、そうした人たちにとっては、あまりに厳しいデビュー年となった。

「投資なんて手を出すんじゃなかった」と嘆く人。

「茂木、河野、そして植田。一生許さねぇ」と恨み節を吐く人。

「ここでじっと耐えれば、いつかはきっと上向くはず」と祈る人。

 そんな“ため息”に包まれる日本列島だが、今回の大暴落をも凌ぐ「-3836円」の超大暴落を記録した1987年の10月20日、市場では何が起きていたのか。

 37年前の大暴落も今回と同じく、震源地はアメリカだった。まず10月19日の月曜日、ニューヨーク株式市場ではダウ平均株価が508ドル、率にして22.6%の大暴落を記録した。米国政府の財政赤字と貿易赤字への警戒感が一気に噴出し、コンピュータによるプログラム売買の普及も相まって、まさに「売りが売りを呼ぶ」展開に。ご存じ、全世界の株式市場を道連れにした歴史的な大暴落、「ブラックマンデー」である。

 翌20日の東京市場はその流れを受け、下落幅約4000円というパニック売りを引き起こした。額にして約60兆円。日本の国家予算に匹敵する時価総額が1日で失われたことになる。

 今回の暴落は、日銀の利上げによる円高という要因もあるが、8月1日に起きたアメリカ経済の先行きの不安によるナスダックとダウ平均の同時安の影響を受けているという点で状況が似ている。

 当日の東京証券取引所はどんな様子だったのだろうか。当時、写真週刊誌『FOCUS』1987年10月30日号の取材に応じた東証関係者によると、

「株式表示ボードが▼印ばっかりなんて、東証始まって以来のことです。▼印は前日より値下がりした株で、▲印が値上がり株なんですが、昭和28年の“スターリン・ショック”の時だって、全部▼印なんてことはありませんでした」

 ちなみに「スターリン・ショック」は1953年3月5日にソビエト連邦の最高指導者・スターリンの死去をきっかけに起こった株価暴落のこと。その「-10%」が長らく日経平均下落のワースト記録だった。