いまやヘルスケア部門が稼ぎ頭に…事業転換で七変化する「富士フイルム」は、利権まみれの「医療業界」の革命児となるか

AI要約

樹木希林と岸本佳代子のTV・CMで、銀塩写真フィルムのイメージが強く、成功を収めた。

しかし、1990年代に始まったIT・インターネット革命により、銀塩写真は没落し、デジタル写真が台頭した。

富士フイルムは構造転換に成功し、コダックとは対照的な運命をたどったが、今後の展望は不透明。

いまやヘルスケア部門が稼ぎ頭に…事業転換で七変化する「富士フイルム」は、利権まみれの「医療業界」の革命児となるか

 樹木希林と岸本佳代子のTV・CMは、「お正月を写そう!」、「美しい方は美しく、そうでない方はそれなりに写ります」というフレーズと共に、多くの読者の脳裏に焼き付いているであろう(参照:「樹木希林、岸本加世子が出演! 40年間の感謝を込めて/富士フイルム・スペシャルムービー『樹木希林さん 2018年末特別』篇」)

 このCMの大成功もあってか、富士フイルムは銀塩写真フィルムメーカーのイメージが強い。

 実際、銀塩写真フィルムは、コダック、アグファ(ドイツ)、富士フイルム、コニカの寡占市場であった。

 そのため、銀塩写真は富士フイルムの収益を支える屋台骨であり、よもや「市場が消えて無くなる」などということを、「現実感」をもって想像することは難しかったのである。

 しかし、1990年代前半から始まった「IT・インターネット革命」は、「写真」分野にも激震を走らせたといえる。

 実際、銀塩写真の没落と、IT革命の一環でもあるデジタル写真の勃興は、空前絶後のスピードで起こった。「富士フイルムグループの成長戦略」4ページ目「カラーフィルムの世界総需要推移」によれば、2000年度のピーク時を100とした場合、2010年度は10以下、つまり10年で約10分の1という急速な落ち込みを示したのだ。

 そして、その対応を誤ったコダックの劣化が猛スピードで進行し、ロイター 2012年1月19日「米コダック、破産法第11条による事業再編を申請」という結末を迎えた。

 それに対して富士フイルムは、現在も社名に「フイルム」という名前を残しながら、大胆な構造転換によって、生き残ったどころか、堅調な経営を続けている。

 この両社の対照的な運命は、企業戦略研究のテーマにもよく用いられる。結果を見れば、明らかに富士フイルムの手法が正しかった。

 だが、「銀塩写真の衰退」に打ち勝った富士フイルムが、「これからの勝者になるのか?」という問いにはまだ明確な答えを出せない。

 その答えを出すためのカギは、東洋経済 2017年6月30日「富士フイルム、不祥事に『反省の色なし』の声」と報道された「不正会計問題」をどのように解釈するのかということと、近年注力している「ヘルスケア」分野である。

 「ヘルスケア」分野においては、2022年11月12日公開「健康保険と『国営ねずみ講』の年金を『第2税金化』で維持に必死の日本政府」で述べたように「健康保険制度崩壊」の危機の中で、どのように成長するのかが、同社の将来を見通すための重要ポイントであろう。