半端ない復旧への熱量、「火の国」熊本ご当地鉄道事情 新幹線に観光列車、海へ山へ路線は意外に充実

AI要約

夏目漱石が熊本を訪れた1896年の鉄道事情や、熊本の駅舎の変遷、豊肥本線の特徴などについて紹介。

熊本県内の鉄道事情において九州新幹線や鹿児島本線が中心であり、豊肥本線が阿蘇観光のアクセス路線として重要。

熊本駅を中心に、新幹線や広範な路線網が広がっており、交通の拠点として機能している。

半端ない復旧への熱量、「火の国」熊本ご当地鉄道事情 新幹線に観光列車、海へ山へ路線は意外に充実

 いまから130年近く前の1896年。かの文豪・夏目漱石が九州鉄道の池田駅に降り立った。『坊っちゃん』のモデルになったという松山中学での勤務を終えて、熊本第五高等学校(のちの熊本大学)に赴任したのだ。

■熊本の北の玄関口

 池田駅はその後、上熊本駅という名に改め、長らく熊本市の北の玄関口として存在感を示してきた。

 1913年に竣工した2代目駅舎は九州新幹線開業に伴う在来線高架化によって役割を失い、一部を保存のうえでいまは熊本市電の上熊本停留場の駅舎として使われている(ちなみに漱石が降り立ったのは2代目駅舎ができるより前のこと)。

 目の前の大通りを挟んだところには夏目漱石の像が建つ。その大通りの名は、「わが輩通り」。漱石というと伊予松山のイメージも強いが、熊本だって立派に縁のある土地なのである。

【写真】熊本県内にはどのような鉄道路線が走っている? 被災路線を列車が走っていたころの様子も(10枚)​

 さて、そんな熊本だが、漱石が降り立った1896年にはどこまで鉄道が通っていたのだろうか。まだ当時の九州は、国営の鉄道は存在していなかった。いまの鹿児島本線の一部が、九州鉄道によって着々と建設されていた、ちょうどその時期にあたる。

 熊本まで線路がつながったのは1891年。漱石がやってきた1896年には、八代駅まで延伸している。つまり、現在の熊本県内の鹿児島本線がおおよそ完成した時期、というわけだ。

 このあたりで、いまの熊本県に戻ろう。鉄道の大動脈は、鹿児島本線……ではなく、むしろ九州新幹線というほうが正しいだろう。

 熊本県内には、新玉名・熊本・新八代・新水俣の4駅が置かれている。中心はもちろん県都にして人口約74万人を抱える政令市・熊本市の玄関口。最速達の「みずほ」なら、博多―熊本間をたったの30分ちょっとで結んでいる。

■熊本駅から延びる路線

 そして、それ以外の熊本県内の鉄道も、熊本駅を中心に広がっているといっていい。

 熊本駅には九州新幹線と鹿児島本線、そして豊肥本線。加えて、三角線に直通する列車も熊本駅まで乗り入れている。豊肥本線は、その名の通り豊後と肥後、大分県と熊本県を結ぶ九州横断路線だ。

 途中、肥後大津駅までは電化されていて、熊本都市圏の通勤通学輸送を担う側面もある。ただ、豊肥本線のハイライトは非電化区間。阿蘇の外輪山をぐるりと回り、カルデラの中を駆け抜ける圧巻の車窓美。もちろん阿蘇観光のアクセス路線としての役割を持っている。