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クリップスとブラッズ、白人至上主義、ヒスパニック系...日本人が知らないギャング犯罪史
ロサンゼルスのストリート・ギャングの活動は、1960年代の終わりに起こった黒人指導者たちの暗殺によって活動の転換期を迎えた。
全米で有名なクリップスとブラッズが登場し、麻薬取引を通じて勢力を拡大していった。
ヒスパニック系ギャングも独自の名前やアイデンティティを持ちつつ、血のつながりを超えてネットワークを構築した。
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ロサンゼルスのストリート・ギャングの活動は、1960年代の終わりに起こった黒人指導者たちの暗殺によって活動の転換期を迎えた。人種や民族など出自の違いによる分断がベースになる一方で、出自を問わないかたちも生まれた。
分断のモザイク化が進み、麻薬、武器と人身の売買、恐喝、殺人など凶悪化していくギャングたち。「見えない境界線」はアメリカだけでなく、近隣諸国へと勢力を拡大していく。
ほとんど日本では知られていない、ディープなストリート・ギャング犯罪の歴史。『世界は「見えない境界線」でできている』(マキシム・サムソン著、かんき出版)から、「ロサンゼルスのストリート・ギャング」の項を抜粋し、3回に分けて紹介する。
本記事は第2回。
※第1回:観光客向け「ギャングツアー」まであるロサンゼルス...地図に載らない危険な境界線はどこか より続く
【ニューズウィーク日本版ウェブ編集部】
USオーガニゼーションとブラックパンサー党の深刻な弱体化が進む一方、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXといった全国的な影響力を持つ黒人指導者が1960年代の終わりに暗殺されたことで、権威と抵抗の新しいシステムが必要になった。
こうして、黒人ストリート・ギャングの第2期が始まった。なかでも全米に名を馳せたギャングは、クリップスとブラッズだった。クリップスの起源については諸説あるが、複数の情報源によると、サウス・セントラル・ロサンゼルスでライバル関係にあったギャングのメンバーで、まだ10代だったレイモンド・ワシントンとスタンリー・「トゥッキー」・ウィリアムズが創設したという。
この2人は、もっと名の知れた敵と対決し、地元を事実上支配しようと考えた。クリップスの好戦性に怒った小規模のギャングは、ただちにブラッズを結成して対抗した。多くの若者――特に貧しく、産業が空洞化した都心部の男性にすれば、こうしたギャングは、地位や仲間だけでなく、それ以上に大切な金を得るための一番わかりやすい道筋だった(特に1980年代以降、クラック・コカイン市場で大儲けできた)。
どちらのギャングも麻薬取引を行うことで、サウス・セントラル・ロサンゼルスの従来の境界をはるかに越えて勢力を拡大した。その過程で、何千もの新しいメンバーをスカウトし、数多くの小規模ストリート・ギャングを吸収して、米国の主要都市だけでなく、カナダのトロントやモントリオールにまで途方もない苦痛を持ちこんだ。
こうしたグループは、ギャング・カルチャーを共有していて、「血(ブラッド)」や「不良品(クリップ)」などと名乗ってはいるが、単一の階層組織ではなく、実際にはゆるやかに結びついたネットワークを構成していると考えたほうがいい。さらに言えば、一部では人種的な同質性はもはや存在せず、さまざまな出自のメンバーを歓迎し、同盟関係を結んでいる。
とはいえ、ロサンゼルスのギャングの大多数は、依然として特定の人種的、民族的、国民的アイデンティティを持ち、名称もサンズ・オブ・サモア(サモアの息子たち)、エイジアン・ボーイズ(アジアの仲間)、アルメニアン・パワー(アルメニアの力)など、メンバーの出身地や地理上の由来を表していることが多い。
ヒスパニックのギャングは、彼らが生まれ、いまも自分のものであると主張している地区の名称を使っている。勢力のあるメキシコ系のエルモンテ・フローレス(EMF)、フロレンシア13(F13)、オンタリオ・バリオ・スール(OVS)、アヴェニューズ、アズーサ13(A13)、ヴェニス13(VS13)、もっと多国籍の〈18番街〉などだ。
13という数字がよく使われているが、これは、「メキシカン・マフィア」を表すMがアルファベットで13番目の文字だからである。ロサンゼルスを拠点にするその他のギャングの名称、たとえばマラ・サルバトルチャ(MS-13)の由来はやや不確かだが、エルサルバドル(「サルバ」)のスラングでギャングを意味する「マラ」と警戒や都会慣れを意味する「トルチャ」を合成したものであると言われる。
MS-13は当初「ストーナー」ギャング(麻薬で恍惚状態になって、ローリング・ストーンズなどのロックバンドの曲を聴くことで知られるヒスパニックか白人のギャング)と見られていた。
だが、エルサルバドル内戦(1979~92)を逃れてきた者が大半を占めるメンバーは、ロサンゼルスの過酷なストリートで生き抜くためには、相手と同じ手段で戦わなければならないことにすぐに気づいた。
1980年代初頭にはおおむね無害だったMSは、10年ほどたつと残忍なMS-13に変貌し、麻薬、武器と人身の売買、恐喝、殺人などで悪名を馳せた。エルサルバドルの内戦が終結して、多くのメンバーが強制送還されたが、彼らはさまざまな不正取引のルートを利用して、中米や北米の一部にその活動を広げている。