母親殺害した「全校1位」の息子、13年ぶりに告白「2児の父になった」=韓国(2)

AI要約

家庭内での虐待やストレスが原因で母親を殺害したカンさんの過去と現在の心情が明らかにされた。

裁判で最小限の刑罰が下された後、カンさんは出所し新たな家庭を築き、子供たちに全てを打ち明けることを決意した。

カンさんは過去の出来事について深く反省し、母親への愛情や過ちに対する深い悔いを述べた。

反抗も、家出もしてみたが効果はなかった。自暴自棄になったカンさんは成績表を偽造し始めた。事件発生2カ月前、父親は正式に離婚通知をした。母親はどんどん神経が過敏になり、事件発生3日前には食事と睡眠が禁止される体罰が追加された。

事件当時、カンさんは陳述を通じ「1日2日と過ぎるとごはんを食べられないのは別につらくなく何も感じなかった。しかし眠れないのはつらかった。自分が獣になる感じ、目から光が出る感じ。だれかが触れば手が出そうになるほどいらいらし、他は特に感覚がないのに頭と目に感覚が集まった」とした。

事件当日、夜中9時間にわたりゴルフクラブで何百回も殴られたカンさんは苦痛に耐えいすに座った。彼は「その時卓上カレンダーが目に映ったが胸がどきりとした。(カレンダーに書かれた)父兄入試相談の日を見てすべてが終わると考えた。母親に殴られて死ぬだろうと考えた。まずとても怖く、次に死にたくないと考えた」と話しながらそうして母親を殺害したと明らかにした。

カンさんは「(母親を殺害して)人ではないように暮らした。母親を運んだり隠したりという考えはしなかった。初めは居間の戸も閉めなかったが時間が過ぎてにおいがし戸を閉めて居間の明かりをつけて暮らした。悪夢なのか幻聴なのか母親が呼ぶ声が聞こえたりもした。罪悪感が大きかった」とした。

その上で「母親は最高の愛をくれた。人生と引き替えに私を育ててくれた。母親がどんどん苦しがる時、どんどん私にプレッシャーをかける時、いまになって解釈するのは母親がどんどん不安になり怖くなっていったということだ。母親に私でなくても母親はすごく、大事な人で、十分に愛されるほどの人だと慰めてあげられないことが悔やまれる。もし戻ることができるならば母親にそう言いたい」と涙を流した。

当時裁判で2審裁判の弁護士は「母親の暴行から自身を守るための最小限の手段」だったと当時の状況を説明した。懲役3年は尊属殺害に対して減刑などを適用して法が下せる最小限の刑量だ。

カンさんは出所後、自分の事情をある人に打ち明け、その人と家庭を作り2人の子どもの父親になった。カンさんは放送を通じ「いつかは子どもたちにもすべてを打ち明けなければならない時がくるだろうが、その日どのように話を打ち明けるべきか、その準備をしながら生きたい」と伝えた。