# 戦争体験
『虎に翼』が描く不器用な「弱さ」と生きる蘇生術 “前半戦”振り返り
俳優・伊藤沙莉が主演を務める、連続テレビ小説『虎に翼』(月~土 前8:00 NHK総合 ※土曜日は1週間の振り返り/月~金 前 7:30 NHK BS、BSプレミアム4K)。女性初の弁護士となるヒロイン・寅子(とその女学生仲間たち)の苦闘を描いた前半部。先週で物語は、太平洋戦争を抜けて終戦へ
旧南洋群島の戦闘で犠牲になった沖縄出身者を悼む 「慰霊と交流の旅」の一行、那覇空港を出発
太平洋戦争時、日本の委任統治領だった旧南洋群島で、日米の激しい戦闘の犠牲になった県出身者を悼む「慰霊と交流の旅」の一行が30日午前、那覇空港を出発した。23~93歳の戦争体験者やその家族ら25人が沖縄から参加。1日にテニアン島の「沖縄の塔」、2日にサイパン島の「おきなわの塔」をそれぞれ参拝す
93歳が初めて語る空襲体験 世界情勢は「太平洋戦争時に似ている」
横浜大空襲から79年を迎えた29日、当時県立横浜第一中学(希望ケ丘高)3年でけが人の救護に当たった笠原実さん(93)が、中区で開かれた「祈念のつどい」で体験談を初めて語った。約100人を前に、ロシアのウクライナ侵攻などに触れ、「第3次世界大戦が起こりそうで怖い」と、不穏な世界情勢を嘆いた。【
横浜大空襲79年 火の海、頭から水かぶり逃げた 当時5歳の金子さん
無差別の焼夷(しょうい)弾攻撃が街を焼き尽くした。1945年5月29日の横浜大空襲。当時5歳だった金子光一さん(84)=横浜市中区=は戦火を逃げ回り、九死に一生を得た。20年ほど前から、語り部として地域で活動する金子さんは言う。「生き残った者として、空襲を、戦争のことを、語らなければいけない
「最後の兵隊」小野田寛郎さんが羽田空港に降り立ってから50年…「ジャングルおじさん」が次世代の子供たちに残していた「贈り物」
----------いまから50年前。羽田空港に「最後の兵隊」が降り立ちました。大日本帝国陸軍の軍人として戦い抜いた小野田寛郎少尉です。彼の姿は、昭和49年当時の大多数の日本人に大変な衝撃と感動を与え、帰国後、マスコミ各社からの取材が殺到。手記執筆を射止めたのは、提示金額が一番低
戦争テーマの催し企画、12月開催目指す 富山県内高校生団体「輪音」
戦争体験者の記憶を継承する富山県内高校生のグループ「輪音(わおん)」は26日、高岡市ふれあい福祉センターで総会を開き、メンバーが今後の活動や催しの内容を話し合った。悲惨な経験を次世代に伝えるため、12月ごろに戦争などをテーマにした親子向けの謎解きイベントを開くことを決めた。 輪
口ベタ元軍医、85歳からのブログ 伝えたかった戦場のリアル
85歳の時にブログを開設し、太平洋戦争で軍医として赴いた戦地や抑留されたシベリアでの過酷な状況を書き連ねた男性がいた。97歳まで更新を続けたブログには戦争体験に触れた約140本の「手記」があり、異国の地に倒れた兵士たちを悼む思いや、「おつりの人生を生かせてもらう」という晩年の心境もつづられて
手塚治虫が学んだマンガ算数教科書、ノーベル賞受賞者の3割は緑表紙世代
皆さんは「マンガの神様」手塚治虫が小学校時代に学んだ算数の教科書が実は「マンガ」だった事実をご存じでしょうか? 「手塚治虫」こと手塚治(1928-89)は1935(昭和10)年、大阪の「池田師範学校附属小学校」に入学しました。 この年から日本全国で一斉に用いられた
戦後、かつて重慶で撃墜した中国空軍パイロットと奇跡の再会…満107歳を迎えた「零戦の初空戦」に参加した元パイロットの証言
私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である