最終日に指揮官から粋な計らい 突然のサプライズに涙…2年で戦力外も“輝かしい日”

AI要約

左澤優氏がオリックスを退団し、新たな道を歩み始めた。選手としての経験を生かし、東京・原宿でプロテイン専門店を経営している。

打撃投手としての経験を振り返りつつ、裏方への転身を決意した経緯を語っている。自らの人生に感謝しつつ、新たな挑戦に前向きに取り組んでいる。

愛嬌たっぷりの左澤氏は、様々な仕事に積極的に取り組んできた。選手時代の仲間たちやチームへの思いを大切にしつつ、新たなキャリアを築いている。

最終日に指揮官から粋な計らい 突然のサプライズに涙…2年で戦力外も“輝かしい日”

 叶わなかった夢を、実現させてくれた。昨季までオリックスで打撃投手を務めた左澤優氏が、新しい道を歩み始めた。昨年11月末で選手2年、裏方3年の5年間お世話になったオリックスを退団。今月28日から、東京・原宿にてプロテイン専門店「EZOBOLIC(エゾボリック)」の店長として“第3の人生”を邁進している。

 公称172センチ、75キロ。決して恵まれた体格とは言えない左澤氏だが、持ち前の丁寧さや仲間思いの性格で野球人生を全うした。左澤氏は2018年ドラフト6位で社会人JX-ENEOSからオリックスに入団。2019年からの2年間で1軍戦に6登板したが、2020年オフに戦力外通告を受けた。

 球団から打撃投手を打診され「選手で2年間プレーさせてもらいましたけれど、まだ何もチームに貢献できていなかった。だから、いきなり野球がなくなった感覚でしたね。あの時(他の仕事は)まだ何も考えられなかった。1つでもチームのためになりたい。その一心でした。だから、有り難くお話を引き受けさせていただきました」と裏方への転身を決めた。

“第2の人生”は、無心で過ごした。「変に意識すると思うようなゾーンに投げられない。選手が気持ち良く打ってくれるのが1番ですから」。選手時代の2年間は2年連続で最下位だったが、打撃投手になってからは3年連続で優勝を味わった。「3年間、打撃投手をさせてもらいましたけど、最後までこのチームが大好きだなという感情で卒業できました。本当にみんなに良い思いをさせてもらいました」。横浜隼人高の2学年後輩にあたる宗佑磨内野手、いつも早出練習で一緒にボールを拾った中川圭太内野手、面倒見のいい西野真弘内野手らに感謝の言葉が止まらない。

 愛嬌たっぷりの29歳は、どんな仕事も断らなかった。歓喜の輪には入らず、球団広報の“手伝い”に率先した。小型カメラを持って、懸命に選手の“素顔”を追った。手の位置は固定するため、両手でバンザイして喜んだことはない。

「1度目の優勝で、指名されたんです。僕が(裏方で)1番歳下だったので。そこから定着しましたね(笑)。日本一も含めて4回も(撮影係を)経験したので上達したかなと思いましたけど、やっぱり難しかったですね」

 表情を崩して、照れ臭そうに話す。ただ、退団直前の昨年9月20日。3連覇を決めた試合での映像は、手ブレがない。ピントも完璧に合っている。ナインの記憶、さらには自身の思い出をきっちり残そうと胸に誓っていたのだった。