原辰徳氏が「王貞治DAY」でセレモニアルピッチ 「プロたるや、の精神には強い影響力をいただいた」

AI要約

原辰徳氏が王貞治氏との思い出を語り、王氏からの影響を受けたことを明かす。

王貞治氏の厳しさや負けん気、ファンへの接し方について原氏が語る。

王貞治氏のプレーへの尊敬や影響力、実績について原辰徳氏が語る。

原辰徳氏が「王貞治DAY」でセレモニアルピッチ 「プロたるや、の精神には強い影響力をいただいた」

(日本生命セ・パ交流戦、巨人0―2ソフトバンク、1回戦、ソフトバンク1勝、28日、東京D)「王貞治DAY」として開催された。セレモニアルピッチを務めた原辰徳氏(65)=巨人前監督=が、王貞治氏(84)との思い出を語った。王氏を同じく巨人の4番打者と監督を経験した原氏が知る〝世界の王〟とは―。

原氏は、王氏が引退した翌年の1981年に巨人に入団。スターの系譜を受け継ぎ、84年から5年間は監督を務めた王氏のもとでプレーした。

「勝負に対しての厳しさ。何くそ!という負けん気。ファンに対する接し方。僕はおっとりしていたかもしれないけど、『あの世界の王さんでもそういう(熱い)気持ちで戦われているんだ』と、いつも勉強していました」

87年は主砲として34本塁打を放ち、王ジャイアンツをリーグ優勝に導いた。「小さい頃に長嶋さん、王さんに憧れてジャイアンツに入りたいという夢を持った」と常々語っており、22年間の現役生活で本塁打を量産した王氏を「鉄人」と称する。

巨人の監督時代には、王氏の打撃について「逆方向に本塁打が打てないと本数は出ない。引っ張って本数が出たのは王さん」と熱弁したこともあった。「野球はもちろん、まねはできなかった。プロたるや、の精神には強い影響力をいただいた」と敬意を表した。

■王 貞治(おう・さだはる) 1940(昭和15)年5月20日生まれ、84歳。東京都出身。早実高で甲子園に4度出場し、2年春に優勝。59年巨人に入団後、野手に転向。62年に一本足打法で初の本塁打王を獲得し、73、74年には三冠王に輝いた。77年9月3日にハンク・アーロン(メジャー通算755本塁打)を上回る世界記録の通算756本塁打を樹立。同868本まで記録を伸ばし、80年に現役引退。巨人、ダイエー、ソフトバンクの監督としてリーグ優勝4度、日本一2度。2006年の第1回WBCでは日本代表監督として世界一。1977年に国民栄誉賞を受賞。94年に野球殿堂入り。左投げ左打ち。現ソフトバンク球団会長。

■原 辰徳(はら・たつのり) 1958(昭和33)年7月22日生まれ、65歳。神奈川県出身。東海大相模高、東海大を経て81年にドラフト1位で巨人入団。通算成績は1697試合の出場で打率・279(1675安打)、382本塁打、1093打点。主なタイトルはMVP、打点王各1度、新人王。95年の引退後は2002、03年、06―15年、19-23年の計17年巨人で監督を務めた。リーグ優勝9度、日本一3度。09年WBCでは監督として日本を連覇に導いた。18年に野球殿堂入り。右投げ右打ち。