2007年(平成19年)衝撃!植木通彦が電撃引退発表、ボートレース界に激震【ボートレースコラム】

AI要約

総理大臣杯(現・クラシック)では、濱野谷憲吾が優勝し、植木通彦がフライング欠場した。植木は引退理由として20年間走り続けたいという決意を挙げ、生涯獲得賞金や名勝負で記憶に残る選手だった。

SGでは瓜生正義、湯川浩司、高橋勲が初優勝し、福岡で行われた賞金王決定戦では吉川元浩がSG初Vを達成。女子戦線では寺田千恵が初めて女子王座決定戦を制し、渡辺千草が史上最多の優出回数を更新する快挙を達成した。

一般戦でも話題となった優勝があり、渡辺千草がデビューから22年8か月目で史上最多の優出回数で初優勝を果たすという記録を達成した。

2007年(平成19年)衝撃!植木通彦が電撃引退発表、ボートレース界に激震【ボートレースコラム】

この年のSG第一弾・総理大臣杯(現・クラシック)では、1号艇の植木通彦がフライング欠場、地元の濱野谷憲吾が優勝を果たした。

このフライングで植木は1年間のSG出走権を失ったが、7月に突然の引退を発表した。会見ではこの総理杯でのFが直接の理由ではなく、「デビュー後間もない桐生での大事故の後に『命がけで20年間走ろう』と決心して、その20年が来たので…」と語った。

"艇王"と呼ばれた植木の残した戦績はもちろん超一流の数字だ。ただ史上1位といえる記録は、年間獲得賞金(2002年の2億8418万4000円はボート界のみならず公営競技最高記録)ぐらいである。しかしモンキーターンの衝撃と、1995年に中道善博との賞金王決定戦(現・グランプリ)をはじめとする名勝負の数々は、ファンを魅了し続けた。まさに"記憶に残る選手"だった。

総理大臣杯(現・クラシック)以降のSGは、笹川賞(現・オールスター)で瓜生正義、グランドチャンピオンで湯川浩司(同年のチャレンジカップも制覇)、全日本選手権(現・ダービー)で高橋勲と、SG初制覇が続出。また前年のダービー王・魚谷智之がオーシャンカップ→モーターボート記念(現・メモリアル)と連覇した。

そして迎えた年末の賞金王決定戦(現・グランプリ)は、第22回にして初めて福岡で開催。それまで惜敗の多かった吉川元浩が、SG初Vを飾った。

なお、年間の最多賞金獲得選手は魚谷で、同じく最優秀選手の栄冠も魚谷が獲得した。

また、女子戦線では、これまで女子として初めてのSG優出などキャリア豊かな寺田千恵が初めて女子王座決定戦(現・レディースチャンピオン)を制して、3回目の優秀女子選手に選ばれた。

この年は、SGやGIだけでなく、一般戦においても話題になった優勝がある。それが6月17日の三国オール女子戦で、2号艇だった渡辺千草が差し抜けて史上最多となる77回目の優出での初優勝だった。足立保孝の76回目という記録を破る、デビューから22年8か月目の道のりだった。この記録もまた、現在も破られていない。